読書のまとめ-2(読後画像・要約)

 

■ 日中友好侵略史 門田隆将著

 

日中友好侵略史 門田隆将著

2022/10月 2022/10/05読了

 

「先に国交正常化ありき」の”前のめり”の姿勢が、完全に中国に手玉にとられた。

「手柄」に目が眩んだ政治家によって、必要な調査や研究を怠り中国の工作によって挙で転がされた日中国交正常化。50年経った今も脅しは変わらない。

日本とアメリカを味方につけ劇的な危機的状況から脱出を図ろうとする中国の術中にはまった。

田中角栄の政治家としての「功名心」と大平正芳の「贖罪意識」が創り出した成果はやがて「日中友好絶対主義」へと発展し日本の存在すら懸念される事態へと発展することになる。

商社、ゼネコンは日本のODA(政府開発援助)を原資に中国に進出。すべて宏池会が窓口になった。中国に巨額の日本の資金が投入され、ノウハウ、技術も投入された。1978年10月鄧小平来日、中国への投資を高めるため、大企業トップ、経団連、日本商工会議所、経済同友会など訪問。新日鉄、日産、松下電器訪問。援助を申し入れる。

やがて日本経済は中国への「投資」から中国への「依存」へと形を変えていく。

 

2022年9月29日の日中国交正常化50周年の時に読んだこの本は、本当に勉強になった本でした。

アメリカに散々やられて属国となり、中国には50年間だまされ続け今や属国扱い、一体日本の政治家、経済界、学術界は何をしているのだろうか。

 

要約は「近現代史記事紹介」にも掲載しています。

 

「日中友好侵略史」 門田隆将著
「日中友好侵略史」 門田隆将著

 

 

日中友好侵略史 門田隆将著 要約

 

中国の対日工作に手をかした日本人達

 

廖承志 日本生まれ日本育ち11歳まで東京。1927年早稲田大学。帰国後中国共産党入党。

1952年ウイーン、共産党系「諸国民平和会議」で、西園寺公一に会う。

西園寺公一 元華族 侯爵家長男 革新系無所属参議院議員1959年北京在住

松村謙三 早稲田大学出身、自民党衆議院議員 1959年松村訪中団北京訪問。蘭の花もらう。

高碕達之助 自由民主党議員。1962年廖承志と「LT貿易」開始。貿易を行うための覚書交わす。

有吉佐和子 1961年(昭和36)日本作家協会訪中。二度訪中。1965(昭和40)年半年間中国滞在。

1966年(昭和41)創価学会池田大作会長と会談。周恩来からの招待の伝言。日中国交回復の推進。

池田大作創価学会会長 1968年(昭和43)9月8日「学生部総会」で「日中国交正常化宣言」を行う。

翌9月9日聖教新聞掲載。池田大作40歳。のちの公明党・創価学会の路線を決定づけた。

公明党 1964年(昭和39)公明党結成。

 

ニクソン大統領、1971年、翌年5月まで訪中することを発表。

1956年中ソ対立。ベトナム戦争停戦の中国協力を求めるため。

1969年7月、キッシンジャー北京訪問。米中接近。

当時の国連の第二次世界大戦戦勝国の5Pは、アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中華民国(台湾)。

 

竹入義勝公明党委員長、1971年7月19日、衆議院代表質問で、日中国交5項目を佐藤首相に提出。

北京で周恩来と初会談後の中国の代弁の5項目。①一つの中国論、②台湾は中国の不可分の領土、③日華平和条約の破棄、④台湾は中国へ帰属、⑤中国の国連安保理事国入り。

1971年10月アルバニア決議可決。3/2の変更事項決議案は否決される。台湾退場。国連の中国工作大。

木村武雄自民党衆議院議員「元師」。戦時中に上海に「木村公館」の拠点。昭和30年代(1955年代)廖承志と正常化工作。田中角栄に日中国交を進言した。思想は師石原莞爾の「世界最終戦争論」・東亜連盟とアメリカ合衆国との決戦となる。

1972年5月9日東京柳橋料亭での「いな垣の乱」。5月15日の沖縄本土復帰を受けて佐藤派内の田中擁立グループ81人の旗上げ。肝いり役は元師こと木村武雄。田中に「中国で政権をとれ」と進言。

佐藤栄作の退陣表明は6月17日。7月5日総裁選で自民党総裁につく。

田中角栄総理「日本列島改造論」と「日中国交正常化」で総裁選勝利。対戦相手は「台湾派」の福田赳夫。

台湾派・石原慎太郎、渡辺美智雄、中川一郎、浜田幸一、綿貫民輔、右翼団体。

大平正芳外務大臣。日中国交正常化を推進したのは、大平正芳(当時外務大臣)、三木武夫、橋本登美三郎。

1972年7月20、日中国交回復促進議員連盟会長藤山愛一郎主宰の中国大使歓迎パーティーで大平外相と会う。7月22日孫平化氏は密命を帯びて大平外相と極秘会見。田中首相の北京訪問が非公式に確約された。7月24日自民党の「日中国交正常化協議会」発足。316名。

8月3日の会議で大平「日華断交」を言及。「日中国交正常化=日華断交」の見切り発車だった。

中国側は公明党ルートを使う。竹入・公明・創価学会は出版妨害事件で田中角栄に恩義あり。

1972年7月25日、竹入北京入り。後に竹入の回想録が池田の逆鱗にふれ創価学会から去ることになる。

竹入周恩来をと会談。中国側は日華平和条約を日蒋条約とする見解。賠償請求権を破棄する。9月下旬田中訪中で確認。(竹入メモ)。8月4日、田中・大平・竹入会談で要点箇条書き竹入メモを提出。

8月11日、大平外相が中国側に田中訪中を伝える。8月15日、田中首相訪中を中国に伝える。

 

「先に国交正常化ありき」の”前のめり”の姿勢が、完全に中国に手玉にとられた。

 

中国からの3か条、①中華人民共和国が合法政府②台湾派中国の不可分の領土③日華平和条約は廃棄。

尖閣諸島の帰属は棚上げ。これに対して、台湾蒋介石は「交渉拒絶」した。

日華断交の秘話(松本彧彦)。田中は1972年9月17日椎名悦三郎特使台北へ派遣決定。小坂善太郎外相を事前協議として9月18日北京へ派遣。台湾派外省人の怒りと、内省人の哀しみ。小坂外相への恫喝。

 

「手柄」に目が眩んだ政治家によって、必要な調査や研究を怠り中国の工作によって挙で転がされた日中国交正常化。50年経った今も脅しは変わらない。中国共産党の本質はなんら変わらない。

 

1972年9月25日、田中角栄、大平正芳、他50余名訪中。周恩来首相の対日工作が実った瞬間。

北京国際空港着。前年9月に毛沢東の暗殺を謀った林彪の墜落しした翌年。中国の内部事情を調べず先を急ぐ田中政権。すべて調べ上げて国交正常化に向けて緻密な戦略を練っていた中国。その時中国は、中ソ対立、文化革命で荒廃し尽くした国内状態だった。

日本側が切り出した条件は、①日華平和条約は国交正常化の瞬間に任務を終了。②第三国対米関係を損なわないように。国交正常化を成し遂げたい日本。国交正常化で利益を得たい中国。この時点で周恩来は勝利を確信。恩を着せる形で交渉を進める中国側の基本形は、最初の会談から明らかだった。

 

第四回会談。台湾問題、賠償問題、戦争の反省をめぐる問題。日本とアメリカを味方につけ劇的な危機的状況から脱出を図ろうとする中国の術中にはまった。

 

1972年9月29日、日中共同声明発表。日本側の全面譲歩により成立。中国を唯一の合法的政府と承認。台湾派は自国の領土は理解尊重するとして認めたわけではないとした。

 

田中角栄の政治家としての「功名心」と大平正芳の「贖罪意識」が創り出した成果はやがて「日中友好絶対主義」へと発展し日本の存在すら懸念される事態へと発展することになる。

 

元拓殖大学特任教授の中国論で曰く、日本人は中国人のことを知らなすぎる。私たちが思っている中国人と中国共産党の人間はまるで違う。将来不幸を背負うと言っていた。

1972年9月29日大平正芳外相の記者会見。「日華平和条約は存続の意義を失い終了したものと認められる」。椎名悦三郎特使の「今後も日台関係は従来どおり」と違う。松本氏号泣。台湾派は即時「対日断交」を声明。「日中友好絶対主義」が始まる。パンダ。日本企業はありがたかった。

 

商社、ゼネコンは日本のODA(政府開発援助)を原資に中国に進出。すべて宏池会が窓口になった。中国に巨額の日本の資金が投入され、ノウハウ、技術も投入された。1978年10月鄧小平来日、中国への投資を高めるため、大企業トップ、経団連、日本商工会議所、経済同友会など訪問。新日鉄、日産、松下電器訪問。援助を申し入れる。

 

やがて日本経済は中国への「投資」から中国への「依存」へと形を変えていく。

 

1989年6月4日、天安門事件。人権弾圧。民主派の胡耀邦の死去。鄧小平、人民解放軍を投入弾圧。

宇野宗祐首相、外務省の独壇場。G7の中で1国日本だけが「閣僚級の交流禁止」「経済制裁」を反対。

解決策として中国は「天皇訪中」プロジェクトを始める。

海部俊樹首相1991年北京訪問。1992年10月23日天皇訪中。日本の歴史上の痛恨事。

宮沢喜一首相、河野洋平官房長官、橋本恕駐中国大使。(1992年天皇訪中時)

1998年江沢民日本訪問。歴史問題ぶり返す。変貌する中国。全てを変貌させた江沢民。

 

天皇訪問の宮中晩餐会でのスピーチ。日本軍国主義は全面的な対中国の侵略戦争を行った。日本を属国扱いして帰国。江沢民が始めた「反日教育」「愛国教育」。1840年のアヘン戦争以降の屈辱の百年(百年屈辱)を徹底して教えた。中国共産党が抗日戦争と解放戦争(国共内戦)に勝利し、人民に幸せをもたらしたと教育。中国国内向け行動。

 

橋本龍太郎首相の中国の女性工作員のとの交流を、新進党西村慎吾議員が国会質問した。1997年10月30日。一般のテレビや新聞では報じられなかった。西側の円借款の凍結解除の働きかけの疑問。1998年参院議員選挙で自民党敗北、橋本首相退陣。2006年死去。林玉蘭。ハニートラップ。

 

中国が欲しいのは、カネ、技術、軍事情報、企業秘密。スパイ防止法がない日本はたやすい。2004年5月、中国・上海の日本領事館に勤務し、外務省と総領事館の暗号通信を担当していた40代の男性領事の自殺。

狙われる日本企業。長崎県の自衛隊一等書記官の懲戒処分。

2012年8月15日、中国の活動家、尖閣に上陸。9月11日、民主党野田佳彦政権が尖閣諸諸島を買い上げ国有化。反日デモ、中国全土で日本企業が破壊・襲撃される。江沢民の反日教育の成果。2005年、2012年の反日デモ。経済活動を営む日本企業のトップや中国利権にしがみつく政治家。やがて制御不能の覇権国家・中国とやがて国際社会すべてが対峙しなければならなくなる。

 

2012年11月15日、第18回共産党大会、習近平総書記。2013年3月、全国人民代表大会で習近平国家主席選出。「百年の恥辱を忘れず、偉大なる中華民族の復興を果たす」とスローガン。1840年イギリスとのアヘン戦争から中華人民共和国成立の1949年までの恥辱の百年を指す言葉。この間中国(当時は清)欧米列強の植民地化、日本は満州国の建国、廬溝橋事件後の日中戦争で首都南京陥落。そのまま突入した第二次世界大戦で枢軸国は敗北、日本は大陸から去った。その後4年間国民党・蒋介石と共産党・毛沢東の「国共内戦」後、1949年10月1日に中華人筋共和国が建国された。「百年国恥」の終了。

 

63年後2013年、習近平は百年国恥を「忘れてはならない」と宣言した。百年国恥とは事実上、中国では日本への恨みを意味する。小学校から教え込まれた。日本がターゲット。敵が必要、それが「日本」。

 

南シナ海岩礁を中国領。東沙・南沙・西沙諸島で「九段戦」引き領土と主張。2016年ハーグ仲裁裁判所の決定も無視。軍事基地化。2010年GDPで日本を抜き態度を変えた。「千人計画」に呼び寄せられた日本人。中国の国家プロジェクト。2008年スタート。「軍民融合」。2015年日本学術会議が国務院傘下の中国科学技術協会と連携。日本人技術者、学者の引き抜き。2020年5月4日読売新聞が技術を狙う中国「千人計画」を連載。千人計画に応募。世界中から毎年千人の応募。2016年7月発表の軍民融合戦略は軍事技術の進化。軍事転用。日本の技術者が欲しい。ロボット・AI。奈良林教授(東京工業大学特任教授)曰く中国人留学生の監視強化必要。中国人留学現在12万人。軍事技術には日本の技術が不可欠だから。自立型巡行ミサイル。レーダーに映らない。中国と合弁企業を作る大手自動車メーカー、大学に警鐘。トヨタ

 

2019年4月21日、「精華大学-トヨタ連合研究院」設立。燃料電池のドローンへの応用。今後5年間共同研究。トヨタの特許実施権を無償で提供。平和ボケした日本の経済界や学術界。2022年複合機などの設計や製造の全工程を中国なうで行う規制導入。中国による先進技術奪取は凄まじい。日本は商売優先。

 

やっと目覚めたアメリカ。1972年2月のニクソン訪中から始まった米中蜜月から対立の時代へ。2011年中国の人権弾圧が転換期に。2013年南シナ海岩礁埋め立て。2001年の中国WTO加盟もアメリカ失敗。

トランプを抱き込んだ「安倍晋三」。2019年武漢発祥の「新型コロナ」。「中国に感謝せよ」で切れた米国。

習近平は最大の敵・トランプをコロナによって倒すことに成功。ロバート・エルドリッチ、日本の「無知と無関心が一番危険」。日本経済の中国依存は極めて深刻。中国よりの政治の世界の問題。日本にいる中国人は100万人時代(80万~90万)。自衛隊の4倍。中国の国防動員法。

「友好」に踊った五十年。ウイグルジェノサイドで2021年は日本がいかに中国共産党の「影響下」にあるかを証明した年。公明党の反対。日中国交正常化五十年の「成果」ということ。2022年2月24日ロシアウクライナに侵攻。二階俊明幹事長と中国人・将暁松。2021年3月12日感謝状を将暁松69歳に送る。

2020年4月将暁松は旭日中授賞も授与。江沢民の後ろ立て。メディアも頼る。2007年グリーンピアをめぐる二取引。二階が紹介。中国資本により日本の水資源が買われ、山林も買収され、大都会の一等地やタワーマンションまで中国人に買われる時代が来た。村山富市内閣時のWTOのGATS条約を制限なしにした。重要土地等調査法も公明党により骨抜きにされたザル法。上海電力問題。

 

 

国交正常化五十年となり、対日工作は想像を絶する成果を挙げた。政権そのものを牛耳り、国会を動かし、中国共産党が日本の政治そのものに直接的に大きな影響を与えている。

 

中国共産党の思惑に踊らされていることを知りながら、日本を”売り続けている”政治家や官僚、経済人には、もはや言うべき言葉も持たない。このままではいずれ日本は、ウイグルと同じ運命が待っているだろう。

 

2016年5月、77歳の自民党職員松本松本彧彦、台北の高級墓地へ、政治家張群の墓参り。

東日本大震災の援助。中国では反日教育がつづき、台湾では日本との交流・交友を促進するための教育が行われている。「民間交流」の成果。「台湾有事は日本有事」安倍元首相。

 

2022年日本と中国は「国交正常化五十周年」を迎えた。半世紀を経て、日本はその記念日を安倍晋三元首相の国葬という哀しみの中で迎える。中国の対日侵略と対峙し、その危険性を世界の首脳に訴え続けた人物である。国交正常化五十年を機に、その歴史を日本は振り返り、これを教訓とし、二度と同じ失敗をしてはならない。日本が自由・民主・人権のアジアの盟主として、毅然として中国と対峙できる国になることを祈って筆を措かせていただく。・・門田隆将

ノンフィクション作家、ジャーナリスト 門田 隆将氏 
ノンフィクション作家、ジャーナリスト 門田 隆将氏 

 

門田 隆将(かどた りゅうしょう、1958年〈昭和33年〉6月16日[1] - )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。本名は門脇 護(かどわき まもる)。1983年4月、新潮社入社。『週刊新潮』に配属される。2008年4月、新潮社を退社し独立。高知県安芸市出身。土佐中学校・高等学校、中央大学法学部政治学科卒業。

 

 

 

■ 歪められた昭和史 渡部昇一著

 

「歪められた昭和史」 渡部昇一著

2022/9月 2021/12/08読了

 

日本がなかったらアジアは白人支配が続いていた。日本の戦争は、欧米列国の「東亜侵略百年」を覆す戦い。戦前は人種差別がまかりとおった時代だった。「戦争の遠因はアメリカにおける移民の迫害であり、近因は石油の禁輸である」。

 

占領軍の偽善的な政策・・GHQ(連合軍総司令部)は、

1945年9月18日・プレスコード。1945年9月22日・ラジオコード。1946年10月8日・大新聞の事前検閲・雑誌、書籍、放送、映画、演劇にも及ぶ。アメリカや東京裁判や占領政策についての批判禁止。シナ人や朝鮮人についての批判禁止。

サンフランシス講和条約第11条は東京裁判の諸判決の実行を日本に求めているもの。

反日左翼の主張が外務省、政府に浸透し出したのは、日中国交樹立の頃からではないか。

戦後の歪められた昭和史・・いや~いい本でした。

 

要約は「近現代史記事紹介」にも掲載しています。

 

「歪められた昭和史」 渡部昇一著
「歪められた昭和史」 渡部昇一著

 

 

歪められた昭和史 渡部昇一著 要約

 

■はじめに

●日本がなかったらアジアは白人支配が続いていた。

 

●日本の戦争は、欧米列国の「東亜侵略百年」を覆す戦い。

石油がなければ二十世紀の国家は存続できない。

マッカーサー:「日本が戦争を始めたのは主として自衛のためであった」上院での証言。

 

●忘れられた日本の言い分

戦前・戦中の日本のすべてを否定する占領軍政策、言論統制、有能な人材を追放する公職追放令が行われ、日本人はいつのまにか、戦争に至る日本の言い分を忘れてしまった。

 

●人種差別の時代

戦前は人種差別がまかりとおった時代だった。

昭和天皇:「戦争の遠因はアメリカにおける移民の迫害であり、近因は石油の禁輸である」

移民に対するアメリカ人の人種差別。日露戦争以後の移民。

1924年に絶対的排日移民法を定めて徹底的に差別し、迫害した。

有色人種に対する白人優位は、産業革命以後、」18世紀の半ば頃。白人の高度な近代文明。

白人の横暴と支配:シナではアヘン戦争、インドでもセポイの乱、シナもインドもイスラムも。

日本によって人類の歴史は一変する。・・短期間に完璧に西洋の自然科学と近代産業を自らのもにした。

日本人さえいなければ二十世紀、あるいは二十一世紀まで有色人種は白人の召使かどれにすぎなかった。

日本は武士がいて、武士道があることを西洋人は知らなかった。

 

●近代産業と武士道

明治期の日清・日露戦争の司令官はみな武士の出身。「武士の戦争」。

自然科学・工業・発明に携わった人・・武士階級の出身

二十世紀初頭に起こった日露戦争(1904~05年)は、1492年のコロンブスのアメリカ到着以来、五百年の歴史を覆す一大転機となった。

世界中の被征服民族に、白人は数百年間におよぶ利権が脅かされることになったと受け取った。

アメリカも日本に対して脅威と反感を持つようになり、移民の迫害が始まって、以後、複雑なプロセスを経て大東亜戦争に至る。

 

●後世に残る大東亜共同宣言

開戦時にはタイ国を除いてアジアはすべて植民地だった。

戦時中の1943年東京で大東亜会議が開催、有色人種による「アジア・サミット」だった。

日本、満州、南京の中華民国、タイ、ビルマ、フィリピン、自由インド仮政府はオブザーバー参加。

全会一致で「大東亜共同宣言」を採択。・・植民地支配の否定と人種差別撤廃を提唱した。

二十世紀初頭・・世界中で人種差別があって当然、美徳。

二十一世紀初頭・・世界から実質上植民地は消え失せ、人種差別は悪となった。

 

●「大君の額づき給う」

靖国神社の趣旨は、戦死した武士をお祀りすることです。天皇陛下も頭を下げてお参りする神社。

天皇が額ずくのは伊勢神宮、明治神宮。八幡神宮(応神天皇の直系)と靖国は別格。

 

■第1章・「満州国は日本が中国を侵略してつくった」のではない

国際連盟脱退は満州問題。

満州国は満州という土地に、満州族一番の直系の王族が戻ってきて建てた国。万里の頂上の北。シナではない。シナ人の侵略思想。清朝政府(満州民族の帝国)の復活。日本が内面指導した。

 

■第2章・「信念から始まる朝日新聞」への疑念

上がおかしくなると下までおかしくなる。会社がらみでチェック機能が働いていない。日本悪しかれ史観。左翼史観・・占領から7年間のうちに、公職追放、マスコミ、大学に左翼史観を持った人物が入った。

 

■第3章・韓国大統領はゆすり、たかり、恩知らず

李斯朝鮮は(李朝)建国以来シナの冊封を受けて臣下になった。朝鮮はシナの一部だった。

皇帝と王の違い。傷つきやすいエゴを持っている国。

ロシア・・シナと朝鮮に早く近代化してもらいたい。ロシアを抑える。

朝鮮に近代化してもらい清国から独立してもらいたいというのが明治政府の方針・日清戦争の対立点。

戦争に勝ち、韓国は清国から独立。下関講和条約で清国から遼東半島を割譲。ロシア、ドイツ、フランスの3国干渉dr遼東半島領有を放棄。

日露戦争に勝ち、韓国は外交権のない保護国にした。「併合」は「植民地」ではない。

韓国に投資。インフラ整備。ハングル文字普及。韓国を日本並みにしようとした。

日帝36年の寄付のし通し。日韓併合派日本にとって不幸なこと。

2005年日韓基本条約締結。日本が韓国に残した資産が賠償要求額を上回っていた。

賠償や謝罪要求は、河野洋平と宮沢喜一が原因。

 

■第4章・恩を仇で返す韓国にはウンザリ

韓国は日本と戦っていない。庇護の立場。

日本を悪者にしておきたいのは、アメリカ、中国、韓国と、それに呼応する日本国内の反日勢力、自虐史観勢力。北岡伸一の歴史観は、東京裁判史観。

マッカーサーこそ歴史修正。米国上院軍事外交合同委員会で証言。1951年5月3日。

彼らが戦争に突入した目的は、主として安全保障のため、余儀なくされたもの。石油鉄の輸出封鎖。

フーバー回顧録2011年。「日本との戦争のすべてが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望だった。1941年7月の金融制裁は、挑発的であったばかりではなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。

原爆も10万人の東京空襲も反米運動にはつながらない。

 

■第5章・中国・韓国は歴史的痴呆症だ

歴史教育は「美しい虹」を見せること。

中国・韓国はいまや一番非友好国。政治家のチャイナスクール。

 

■第6章・やくざも呆れる中国の厚顔無恥

日本は、講和条約は蒋介石(国民党政府)と結んでいる。

中共政府とも友好条約を結んだ。・・内政干渉しない。靖国問題は朝日問題。

 

■第7章・朝日よ、講和条約をよく読め!

中国・・平和友好条約で解決済。

無差別爆撃や原爆で市民虐殺をやった国・アメリカの責任。

中立条約を無視して侵攻してきた国・ソ連。・・それこそ戦犯である。

現在の中国政府はサンフランシスコ講和条約に招請されていない。まったく関係ない。

日本と戦った蒋介石政府は、サンフランシスコ条約11条にもとづく戦犯の釈放に同意している。

 

■第8章・東京裁判は日本を蝕む「梅毒」だ

東京裁判で唯一「日本は無罪である」と述べたインドのパール判事は、「東京裁判は、原爆よりも日本の精神を長き世にわたって毒す」という趣旨のことを言っている。

国際法にない戦争犯罪を裁くことなどできない。

絞首刑7名。終身禁固刑16名、有期禁固刑2名。

第11条後半で、「諸判決」を停止させる条件が付いている。これに、もとづいて所判決を廃止した。

国会は全会一致で戦犯を救済した。1953年改正遺族援護法成立。

 

梅毒根治案

1.「独立回復記念日」制定1945年8月14日~1952年4月28日の7年間占領された。

大使館を持てない、国家掲揚・国家斉唱ができない、輸出入は占領軍の許可、言論統制、法律制定施行できない、憲法も1946年11月3日、施行は1947年5月3日。

憲法前文は、日本にいまだに主権がない。生存まで他国に預ける・・明確な主権否定。

2.東京裁判の実態を教える。日本は自衛のために戦争をした。

3.マッカーサー証言を広く知らしめる。

GHQで公職追放、憲法改正、財閥解体、農地改革等の占領政策実施。

日本は自衛のために戦争をした。・・上院軍事外交合同委員会の証言。

 

■第9章・人を喰う中国人に喰われるな

隷属を強いられる「友好」。

平和・・隷属の平和・属国の平和・滅亡の平和

平等な対話をしないことが、日中間の友好。

シナ人悪基本的な性格。・・食人肉風習の存在。

 

■第10章・脈々と続く朝日新聞反日の源流

朝日新聞、左翼ジャーナリズム、進歩的文化人、日教組、といった「反日を煽る人々」。

共産党とそのシンパや同調者。

GHQの初期の占領政策。・・ルーズメルト大統領の民主党政権の政権内部は共産党とそのシンパ。

戦前の共産党の思想と初期占領政策。この二つが「反日を煽る人々」とその思想を育てた。

戦前の共産党は、コミンテルン日本支部。

1925年治安維持法が制定・・共産党活動が取り締まり対象になった。朝日に継承された反日思想。

日本の復讐を恐れたアメリカ。・・原爆投下、東京大空襲の大虐殺実行。戦後の占領政策。

アメリカの戦前の日本を悪く見せなくてはならない思惑が、戦後日本の左翼思想と合致した。

1946年n公職追放令(戦犯・軍人・戦争協力者・地方議員・市町村長・マスコミ関係者・企業幹部・約20万人の職場追放)。

政界では、閣僚5人、国会議員300人・・追放者の少なかった革新政党が躍進。大学、ジャーナリズムの世界・・左翼が進出。

 

■第11章・国を滅ぼす煽情ジャーナリズムの深源

5.15事件・・右翼・・正体は左翼・皇室を尊敬する共産主義者だった。

 

■第12章・慰安婦歴史論争は朝日の全面敗北で終わった

吉田証言は嘘であった。女子挺身隊は慰安婦ではなかった。

中韓的な「日本を徹底的に貶めたい」と考える強力な中心勢力がある。

産経新聞の大金星・・公の談話に韓国の意向が働いた。

卑怯な論点ずらし・政治的意思による誤報・捏造は会社ぐるみ

 

■第13章・皇統「百二十五代」は日本の誇り

皇室は日本の総本家。成り上がり国家ではない日本。

日本はとても古い歴史を持つ国。日本の王家は、神話の時代から2600年以上も連綿とつづいている。

万葉集・山上憶良の日本観・・「皇神の厳しき国」すめろぎのいつくしきくに。

日本の神社はすべて皇室に関係がある。

シナ文明と異なる日本文明。アーサー・ウイリー、サミュエル・ハンチントン。

日本という国は、神話の時代からつづいている王朝を持っている唯一の近代国家。

日本の皇室に芭「男系の女帝」しかいない。皇統125第の重み。

 

■第14章・あまり拙速な女性天皇容認論

「女系天皇の容認」は2665年にわたる長い日本の歴史に一度たりともなかったこと。

女性天皇は全て未婚。女帝が10代8人。男性天王の皇女。宮家の復興。進駐軍の命令で臣籍降下。

 

■第15条・天皇「生前退位」の衝撃!摂政を置いて万世一系を

摂政を置くことを提案。皇室典範は変えるべきでない。・・皇室の憲法。

万世一系は揺らいではいけない。

2600年以上の歴史がある。2000年以上続いているのはローマ法王庁と皇室だけ。

伝統の文書は、出雲大社や伊勢神宮に残っている。

 

■おわりに

占領軍の偽善的な政策・・GHQの(連合軍総司令部)

1945年9月18日・・プレスコード

1945年9月22日・・ラジオコード

1946年10月8日・・大新聞の事前検閲・・雑誌、書籍、放送、映画、演劇にも及ぶ

プレスコードの禁止事項は30ばかり

アメリカや東京裁判や占領政策についての批判禁止

シナ人や朝鮮人についての批判禁止

国家としての中国は新しい・・建国60年も経っていない。

中国・・蒋介石統一した国・・清国は満州民族の国家・・シナ大陸・シナ史。

東京裁判を受諾し国際社会に復帰。サンフランシスコ講和条約の誤解。反日左翼。

講和条約第11条は東京裁判の諸判決の実行を日本に求めているもの。・・誤解がある。

反日左翼の主張・・外務省、政府に浸透し出したのは、日中国交樹立の頃からではないか。

 

英語学者、評論家 渡部昇一氏 
英語学者、評論家 渡部昇一氏 

 

渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日)は、日本の英語学者、評論家。上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。

 

 

 

■ 日本人の誇り 藤原正彦著

 

「日本人の誇り」 藤原正彦著

2022/8月 21/10/15読了

 

「個より公、金より徳、競争より和」を重んじる日本国民の精神性は、文明史上、世界に冠たる尊きものだった。

しかし戦後日本は、その自信をなぜ失ったのか?

幕末の開国から昭和の敗戦に至る歴史を徹底検証し、国難の時代を生きる日本人に誇りと自信を与えるために。

 

近現代史観というのは、現代の政治、経済、社会など我々の周りで起きているほとんどの現象をどう見るかに深く関わっています。

歴史を失った民が自国への誇りと自信を抱くことはありえません。この誇りと自信こそが、現代日本の直面する諸困難を解決する唯一の鍵なのです。

 

日本人の誇り・・大変勉強になった、中身の濃いいい本でした。

 

要約は「近現代史記事紹介」にも掲載しています。

 

「日本人の誇り」 藤原正彦著
「日本人の誇り」 藤原正彦著

 

 

日本人の誇り 藤原正彦著  要約

 

近現代史観というのは、現代の政治、経済、社会など我々の周りで起きているほとんどの現象をどう見るかに深く関わっています。すなわち、近現代史をどう見るかを露わにするということは、自らの見識を露わにすることなのです。

 

歴史を失った民が自国への誇りと自信を抱くことはありえません。この誇りと自信こそが、現代日本の直面する諸困難を解決する唯一の鍵なのです。

 

春淡き朝、試練に立つ国を思いつつ・・藤原正彦

 

 

第一章・・政治もモラルもなぜ崩壊したか

 

◇危機に立つ日本・・何もかもうまくいかなくなった日本

●アメリカの忠告に従って進めたグローバル化や構造改革は、世界でも稀に見るほど安定していた社会を荒廃させ日本が大事にしていた国是を破壊しただけで、デフレ不況は一向になおりません。

 

◇対中外交はなぜ弱腰化か

●日米安保条約は、日本の領土がどこかの国に攻撃されたら直ちに米軍が助けに馳せ参ずるとはなっていないのです。

●第五条・・日本領土でどちらかが攻撃を受けた場合、それぞれは「自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動する」とある。連邦議会が承認、米国世論が支持するとは思えない。

●集団的自衛権の問題・・いまの憲法ではアメリカ艦が攻撃されても日本艦は助けに出れない。

●日米安保条約は欺瞞の条約なのです・・両国に責任。日本は自国を自力で守らない。

 

◇アメリカの内政干渉を拒めない

●アメリカの「年次改革要望書」で内政干渉。郵貯簡保の金差出、米保険会社進出を援護の郵政民営化、日本の雇用を壊した労働者派遣法改正、医療システムを崩壊させた医療改革、外資の日本企業買収を容易にする三角合併解禁、など要求されたものでした。・・アメリカの属国。

 

◇劣化する政治家の質

●小泉チルドレン、小沢チルドレン、鳩山内閣の官僚外し。

●官僚と叩くものではなく、逆に高給を与え、エリートとしての矜持を持たせ、国家国民のために命がけで貢献してもらうものなのです。

 

◇少子化という歪み・・政治経済に追い打ち。社会福祉政策の破綻。

◇大人から子供まで低下するモラル・・深刻なのはモラルの低下。政治家や官僚だけではない。ケータイ病の子供、モンスターペアレンツ。さもしい。

 

◇しつけも勉強もできない

●政治、経済の崩壊からはじまりモラル、教育、家族、社会の崩壊。今日本は全面的な崩壊に瀕しています。

●一種の文明病。欧米思想の個の尊重が戦後65年深く根をおろす。子供中心主義。

●社会や国家につくすという美徳は、GHQが教育勅語を廃止し公より個を尊重する教育基本法を作成すると同時に消滅したといっていいでしょう。「公イコール国家イコール軍国主義」という連想を植え付け、弱体化しょうとしたのです。

●公を否定し個を称揚することはGHQが生み、継承した日教組が育てたもの。プラスGHQに忠誠をつくしたマスコミにより維持される。

 

◇対処療法に効果なし

●山ばかりで資源もない極東の小さな島国でありながら、古くより偉大な文学や芸術を大量に生み、明治以降には脅威の成長なしとげ、ついには五大列強の一つにまで発展させた、優秀で覇気に富んだ日本民族は一体どうなってしまったのでしょうか。

 

◇真、善、美は同一のもの

●この世のあらゆる事象において、政治、経済から自然科学、人文科学、社会科学まで、真髄とはすべて美しいものだと私は思っています。

◇根本的解決こそ美しい

 

 

第二章・・すばらしき日本文明

 

◇世界七大文明の一つ

●ハーバード大学ハンティントン教授の世界七大文明・・文明の衝突1990年代

世界七大文明とは・・中華文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、日本文明、東方正教会文明(ロシアなど)、西欧文明、ラテンアメリカ文明の七つです。 孤島での独自の文明・・神仏習合、武士道精神

●成熟した江戸末期・・「日本人はなぜこうも他のアジア人と違うのか」

●「貧乏人は存在するが貧困は存在しない」・・本物の平等精神。日本の封建制度。

●自己懐疑は知的態度か・・日本の封建制度の異質さ。戦後は「和魂米才」ではなく「米魂米才」。

●幻影と現実・・江戸時代から明治中期までは、貧しいながら平等で幸せで美しい国を建設していたのです。

●幸福、満足、正直

●「近隣諸国条項」という難問・・1982年宮沢喜一官房長官談・・「今後の教科書検定は近隣諸国の感情に配慮する」・・「中国、韓国、北朝鮮を刺激しかけない叙述はいけない」という政治的なものです。厄介。

 

 

第三章・・祖国への誇り

 

◇若者は「恥ずかしい国」となぜ言うのか

●間違った歴史観。学校教育の問題・・ほとんどの若者が自国の歴史を否定しています。

 

◇自国のために戦うのか?

●自国を卑下するという世界でも稀な傾向。

 

◇戦後、日本国の生存を握るものは?

●祖国への誇りを失ったのは戦後のことなのです。

●アメリカの戦後目標は「日本が二度度立ち上がってアメリカに刃向かわないようにすること」。

国務省、陸軍省、海軍省合同の「日本降伏後における米国の初期の対日方針」。

●日本の非武装化、民主化、新憲法

●アメリカは他国の憲法を自分達が勝手に作るというハーグ条約違反を行いました。

●「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という前文により、日本国の生存は他国に委ねられたのです。

●残念なことに「国益のみを愛する諸国民の権謀術数と卑劣に警戒して」が現実である。

●第九条の「陸海空軍その他の戦力は、これ保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は前文の具体的内容です。

●日本はこの前文と第九条の作られたこの時点でアメリカの属国となることがほぼ決定されたのです。

●こうして万国の保有する自衛権を日本だけが失ったのです。

 

◇天皇、漢字、教育勅語

●天皇を元首からただの象徴にした。新たな皇室典範で十一宮家を皇室離脱させました。

●当用漢字を導入、使用漢字を大幅に制限した。・・日本文化の弱体化、愚民かが目的でした。

●世界から絶賛された教育勅語を廃止し、教育基本法で個人主義を導入し、日本人の特性を壊しました。

日本の底力を減殺する狙いでした。

 

◇「罪意識扶植計画」とは何か

●アメリカが日本に与えた致命傷は、新憲法でも皇室典範でも教育基本法でも神道指令でもない。占領後間もなく実施した、新聞、雑誌、放送、映画などに対する厳しい言論統制でした。

●WGIPに基づく「罪意識扶植計画」は、自由と民主主義の旗手を自任するアメリカが、戦争責任の一切を日本とりわけ軍部にかぶせるため、日本人の言論の自由を封殺するという拳に出たのです。

●「罪意識扶植計画」は日本の歴史を否定することで日本人の空洞化をも意図したものでした。

●軍国主義者と国民の対立にすり替える。軍人や軍国主義者が悪く米軍の責任ではない。二発の原爆投下による二十万市民の無差別大量虐殺を、日本の軍国主義者の責任に転嫁することで、自らの免罪符を得ようとしたのです。

●1999年のAP通信社が行った報道機関アンケートで、5位がベルリン崩壊、4位が米宇宙飛行士の月面歩行、3位がドイツのポーランド侵攻、2位がロシア革命、1位が広島・長崎への原爆投下でした。

 

◇一千万人を救うために二十万人を

●原爆投下は正しかった。ポツダム宣言の発表以前に原爆投下命令は下されていたのです。

●米英ソのヤルタ会談・・ドイツ降伏後三カ月以内にソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し対日参戦すること、その代わりに満州にある日本の権益、南樺太、千島列島をソ連に引き渡す密約。・・ソ連参戦前に原爆投下。・・戦後の米ソの覇権争いを念頭に入れたものだったのです。

●ソ連の参戦前に日本を降伏させる・・そのためにはできるだけ早期に原爆投下が望ましい。

●8月6日と9日に原爆を落とし、8日にソ連が参戦し、14日に日本がポツダム宣言を受諾し、その後スターリンは樺太と千島を占領し、更に北海道北半分への進行まで要求しました。トルーマンはこれを拒絶し、朝鮮半島の三十八度線以南への進行も阻止したのです。核の威力でした。

●原爆投下は、専らその実際の威力実験および終戦後のソ連との覇権争いを念頭に入れたものだったのです。

 

◇宣伝による洗脳が始まった

●1945年12月8日より、「太平洋戦争史」の宣伝文書を使わせた。翌1月には学校における歴史、地理、終身の授業を停止させた。「太平洋戦争史」は教科書として使わせました。人間を作る教育まで洗脳。

●日本はポツダム宣言という条件付き降伏をしたのであって、無条件降伏したのではありません。第5条に「吾等の条件は左の如し」と書いてある。6条から13条まで降伏条件が記載されているのです。

●十条「・・言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし」。第十三条は「全日本国軍隊の無条件降伏」です。日本国政府は条件降伏、軍隊は無条件降伏。にもかかわらず、アメリカはポツダム宣言をふみにじり、あたかも全面降伏したかのごとくふるまい学校で指導しました。

●無条件降伏なら何でもありで、GHQ制作であることを隠し「真相はこうだ」をNHKラジオでも宣伝。メディアを利用して洗脳教育まで取り組んだのです。

 

◇検閲によるメディア統制

●一方的なアメリカの見解、途方もない善悪二元論が日本人の脳に少しずつ忍び込んだ。アメリカによる洗脳が効果を表し始めました。・・長期戦略の天才アングロサクソン。

●「神道指令」を発令し、神道を弾圧することで皇室の伝統、日本人の心の支えを傷つけました。

●「罪意識扶植計画」を着実に実行するため私信まで開封しました。

●雑誌新聞のなどの事前検閲をおこないました。

●占領軍や合衆国に対する批判、東京裁判に対する批判、アメリカが起草した新憲法への言及、検閲制度への言及、天皇の神格性や愛国心の養護、戦争における日本の立場や大東亜共栄圏や戦犯の擁護、原爆の残虐性についての言及、などが厳しく取締まられ封印されました。

●違反した新聞や雑誌」は発刊停止となる。朝日新聞、ジャパンタイムズ、東洋経済新聞等。

●結果、新聞、雑誌、ラジオ等は、生き残るすべを学習し、戦前の皇室万歳からアメリカ万歳や容共路線に急転回しました。はしっこい日本人は豹変したのです。日本人の最もいやな点です。

 

◇公職追放は二十五万人以上

●罪意識扶植計画に協力的でない人間は公職追放された。政府や民間企業の要職につくことを禁止。

●GHQ、1946年の1月には公職追放令を作り、戦争犯罪人、戦争協力者、大政翼賛会などの関係者が追放され、翌年には、戦前戦中の有力企業の幹部も対象になりました。

●気象台長藤原咲平、鳩山一郎、石橋湛山、衆議院議員の八割が追放、政財界、言論界の有力者の大半が消えました。

●日本の中枢を占めた保守層が去り、左翼系やそのシンパが多くなりました。特に学校。

●日本中の大多数の人間が、公職追放令がでて一年もたたないうちに、GHQに意向に逆らわなように自主的に協力し始めました。

●画期的成功を収めた「罪意識扶植計画」は7年近い占領が終わり、公職追放令が廃止された後でも日本人に定着したままとなった。洗脳とは真におそるべきものです。モスクワのコミュンテルン(ソ連共産党は以下の国際組織)のもので、その影響下にあった日教組がそのまま教育の場で実践しました。自虐史観が根を張っているのです。

 

◇「国家自己崩壊システム」

●GHQが種をまき、日教組が大きく育てた「国家自己崩壊システム」は、今もなお機能しています。

特に教育界、歴史学界、マスコミというGHQによる締め付けがもっとも厳しかった部分においてです。

このシステムは容易に壊れないのです。

●東京裁判への批判、新憲法への批判、検閲により言論の自由を奪い洗脳を進めたアメリカへ批判、愛国心の擁護、原爆や無差別攻撃による市民大虐殺への批判、などは、すべて正当でありながら、公に語られるのは稀です。無論、教科書に載ることはありません。

●アメリカの言論操作はついに「歴史的事実」になったのです。公然たる批判を慎む、というのは属国のマナーでもあるのでしょう。

 

◇失われた日本人としての誇り

 

◇原爆投下への正当化

●事前検閲は違反です。ポツダム宣言第十条、合衆国憲法修正第一条にも謳っています。言語を絶する暴挙なのです。

●広島と長崎への原爆や日本中の都市に対する無差別爆撃が、人道上の罪であることは言を俟ちません。

●1907年に結ばれたハーグ条約第二十二条、「無制限の害敵手段を使用してはならない」や第二十五条、「防守されていない都市、集落、住宅、建物はいかなる手段をもってしても、これを攻撃、砲撃することは禁ず」にも違反しています。無差別戦略爆撃は大統領の許可が必要。東京大空襲で十万人が死亡。

水戸、八王子、長岡、富山、

●原爆二つはもちろんのこと、1945年に実施されたこれらの無差別爆撃は、アメリカ合衆国の綿密な計画の下で組まれたものであり、飽くことなき大量虐殺への執念によるものだったのです。

●一般の老若男女55万人の生命が奪われた。東京裁判では取り上げられませんでした。

●原爆投下には「あやまちは二度とくりかえしません」といい、日本焦土作戦を指導したカーティス・ウメイ司令官には日本政府が勲一等を与えました。自虐国家日本は絶好調なのです。

 

◇大多数の戦争は宣戦布告なしだった

●新憲法や教育基本法を押しつけ、日本のエリートを壊滅すべく旧制中学、旧制高校を廃止したのも、「占領者は現地の制度や法令を変えてはならない」という趣旨のハーグ条約43条に反しています。

同じ敗戦国のドイツは、憲法や教育基本法などの押しつけを拒否しました。

●1907年のハーグ条約、「開戦前の宣戦布告を義務付けた」。

ハーグ条約以降も、アメリカは1916年ドミニカ戦争で違反。第一次世界大戦も第二次世界大戦も奇襲だった。ハーグ条約は単に開戦儀礼。二十世紀の戦争は大多数が宣戦布告なしだった。

●アメリカ参戦のため、アメリカ国民を扇動するための「真珠湾奇襲を恥ずべき行為」と糾弾したのはルーズベルトです。

●不意打ちにこだわるアメリカが、ベトナム戦争でもアフガニスタン戦争でもイラク戦争でも、宣戦布告を忘れてしまいました。

 

◇ナショナリズムよりパトリオティズム

●「罪意識扶植計画」で禁止された愛国心の擁護と育成は、世界中どこでもやっていること。アメリカでも。当然のこと。家族愛、郷土愛、祖国愛の三つの愛が基本。明治以来、愛国心という言葉で両方を表してきた。「国家主義」及び「祖国愛」の語で二つを峻別すべきと思う。

 

◇東京裁判という まやかし

●東京裁判もニュールンベルク裁判も「勝利国による敗戦国への復讐劇」である。両裁判ともに、連合国側の戦争犯罪は不問に付されました。

●1939年ソ連のポーランド侵攻、米英のドイツ全土への無差別爆撃で30万人の市民虐殺、中国による日本に対する挑発、真珠湾攻撃の前からアメリカの中国への軍事物資と航空隊派遣、も不問。

●実際は真珠湾のずっと以前から、アメリカは、無論宣戦布告もなしに日本に対して敵対行為を始めていたのです。

●広島、長崎への、人類にとっていまだに唯一無二の原爆投下、そして東京大空襲を含む焦土作戦も無論

取り上げません。ヒットラーやスターリンの暴挙に匹敵するアメリカ人の悪夢です。

●1945年8月9日にソ連が日ソ中立条約を破り、174万人の兵力、5000台の戦車、5000機の航空機をもって満州に侵略したことも、日本の降伏後にソ連が、60万以上の邦人をシベリアに送り強制労働させたのも一切不問です。

●日本政府は8月14日ポツダム宣言を受諾し、16日には停戦と降伏を表明したが、千島列島は18日以降9月5日までの間に火事場泥棒宜しく占領されたのです。ロシア兵の強姦、暴行、虐殺により民間人死亡者は17万人にも上りました。それの凶暴野蛮は言語に絶するものでした。

●北満州に残された開拓民27万人の運命は悲劇だった。しかし東京裁判では全く取り上げられませんでした。あまりの不公平に弁護側が抗議しても、白豪主義をとるオーストラリアのウエッブ裁判長は「この裁判は日本を裁く裁判であり、連合国の行為とは無関係である」の一言で退けた。勝者の敗者に対するリンチであることを認めたとも言える発言でした。

 

◇正当性を欠く裁判

●ブレイクニー弁護人の動議、「広島、長崎への原爆投下という空前の残虐を犯した国に人間に、この法廷の被告を『人道に対する罪』で裁く資格があるのか」、も詭弁により斥けられました。

●裁判資料の閲覧、反対尋問の機会も与えられなかった。弁護側の有力資料は却下。

その結果、カチンの森事件と南京大虐殺が登場しました。

 

 

第四章・・対中戦争の真実

 

◇南京大虐殺の不思議

◇ティンパーリもスノーも南京にはいなかった

◇東京裁判で再登場した

◇安全國逃げ込んだ便衣兵

◇証拠は捏造されていた!?

 

◇「大虐殺」は歴史的事実ではなく政治的事実

●ドイツのアウシュビッツ大虐殺に対する日本の「南京大虐殺」は欲しかった。もう一つは原爆二発を相殺する被害者が欲しかったと思います。

●偽証罪も検証もない裁判で、中国とアメリカが結託して「南京大虐殺」をでっち上げたかもしれません。かくして「罪意識扶植計画」の目玉となりました。決定的証拠が出てくるまでは創作だと信じています。

●アメリカは肝心のものは情報公開しません。真珠湾攻撃前一週間の暗号解読資料、ケネディ暗殺犯、南京大虐殺と原爆投下の関係資料。

 

◇復讐劇と化した訴訟指揮

●「日本は挑発挑戦され自衛のために起った」とうローガン弁護人の弁明も却下されました。

 

◇「八紘一宇」は世界征服にあらず

●罪状の「世界征服の責任」は?

●白人の牙から同胞アジア諸国を守るという、幕末からのアジア主義であり、気概のほとばしりであった。

 

◇「共同謀議論」のムリ

●東京裁判の目玉は、」1928年から1945年までの17年間、日本は一貫してアジアを侵略して支配下に置くため謀議を企て、そのために満州事変、日中戦争、太平洋戦争を引き起こしたということでした。これを共同謀議したとして罪を問われたのがA級戦犯と言われる28人でした。本当にこの28人が世界征服やアジア制服の計画を練って日中戦争や日米戦争にまで至ったのか? 17年間に16回も内閣が変わっている。このことはパール判事が全面否定しています。

●残念ながら日本人には、大局的視野に立って長期戦略を組み立てる、という能力があまりない。この能力はアジア人にもなく、ラテン民族やスラブ民族も得意ではありません。最も得意なのはアングロサクソンです。日本は土壇場まで対米戦争計画はほとんどなかった。

 

◇「オレンジ計画」とは

●一方のアメリカは日露戦争の終わった翌年あたりから、テオドア・ルーズベルト大統領の指示で対日戦争計画を練り始めました。オレンジ計画です。大英戦争のレッド計画もあった。

●19世紀末に西海岸まで到達し、ハワイ、フィリピンを獲得したアメリカにとって、次のフロンティアとしての目標は巨大市場中国でした。そしてすでに満州で利権を独り占めにし、中国への道に立ちはだかるのが、強力な海軍力を持つ小癪なイエローモンキーにほんだったのです。

●オレンジ計画の1911年のものには、「米国は独力で日本を満州から撤退させるべく、大陸への介入で鳴く、海上の作戦によって戦うことになるだろう。日本の通商路を海上封鎖することで息の音を止めることになろう」という趣旨のことが書いてあります。30年後の戦争はその通りになりました。

●1922年のワシントン条約で日英同盟を解消、日本の戦艦保有量を米英日で5対5対3にさせる軍事上の不平等条約です。日露戦争から対日戦争に向けて35年間も準備していたのです。

●その後も日米戦争だけは避けたい日本に対し、アメリカは太平洋の覇権をめぐって日本との激突を必然視し本気で準備しました。第二次大戦で英ソが窮地に陥ってからは日本に先に手を出させようとありとあらゆる努力を重ねました。日米戦争に限って言えば、共同謀議で告発されるべきはむしろアメリカだったのです。

 

 

第五章・・「昭和史」ではわからない

 

◇「侵略」の定義とは何か

●東京裁判の核心、戦後日本を覆った暗雲は、日中戦争および日米戦争が日本の一方的侵略であったかということに帰着します。

●侵略とは、目的を問わず、相手方勢力や相手方領域を攻撃する行動、一方侵略とは、相手の主権や政治的独立を奪う目的で行われる侵攻のことです。

●侵略の私が妥当と思う定義は、「自衛のためではなく、軍事力により他国の民族自決権を侵害すること」です。1919年パリの講和会議の国際連盟の規約が決められた、その規約の「委任統治」には、「自ら統治できない人々のために、彼らに代わって統治してあげることは、文明の神聖なる使命である」という趣旨が書いてあります。

●この論理により、イラク、ヨルダン、パレスチナはイギリスの、シリア、レバノンはフランスの委任統治領となったのです。これは侵略とはならない。侵略かどうかは、本質的には列強の判断次第だったのです。

 

◇誰が法的成否を決めたのか

●2001年アメリカハーバード大学の協力により「第3回韓国併合再検討国際会議」が開かれました。韓国のイニシアチブで開催、日本による1910年の韓国併合が国際法からみて違法であるかどうかの確認。結論は欧米の研究者達に全く受け入れられず違法でないという結論だった。

●ケンブリッジ大学教授で国際法の権威であるジェームズ・フロフォード氏は次のように語った。「韓国併合は英米をはじめとする列強に認められている以上、違法と言えない」。

 

◇「昭和史」という不思議

●切り離すのは無理。それ以前は切り離すという暗黙の作業が含まれる。注意が肝腎。

●何故なら、十六世紀以前の世界史の半分は、恥ずべき人種差別に基づいた、残虐非道な欧米の侵略史と言って過言ではありません。人道、正義、文明の神聖なる使命、などのもっともらしい旗印の下、白人がアジア、アフリカ、南北アメリカ大陸と次々に土地を奪い、愚民化した住民を家畜のごとく使役し、苛烈な搾取を行い、従わなかったものは虫けらのように殺す、という歴史でした。

●帝国主義に遅れて参加した日本が、海外に欧米列強と同様の利権を求めて出て行ったのは、二十世紀に代わる頃から出、その頃、取りたいものを取った欧米列強の侵略は下火になっていた。残り大きな利権と言えば中国や満州くらいであり、後進日本の帝国主義は昭和になった頃に最盛期を迎えましたから、日本の乱暴ばかりが目立ちやすいのです。

●昭和だけを切り取るということは、四世紀もの長きにわたる欧米列強の酷薄を免罪し、日本だけを貶め、「東京裁判史観を認める」ことに導かれる危険を高めるのです。

 

◇清国は満州族の国

●裁判では満州事変以降が日本の侵略とされました。

●南満州鉄道とはもともとロシアが建設した鉄道で、この鉄道とその支線は日露戦争で日本が勝利したため、1905年のポーツマス条約でロシアから、清国の許可を得たうえで、旅順、大連の租借権とともに日本に譲渡されたものです。しかし日本は日露戦争で多大な犠牲を払い占領した広大な南満州を、寛大にもそのまま清国に返しました。

●清国とは、漢族ではなく満州族が支配する国です。ロシアから取り返した日本に感謝し、南満州鉄道の譲渡を認め、日本軍の常駐を認めた。日露戦争後の10年間ほどは日中関係は珍しくとてもいい時期だった。

●初代総長後藤新平が就任し、鉄道事業、近代都市建設、炭鉱開発、製鉄業、港湾、上下水道、電力、といったインフラの整備まで行った。日本がポーツマス条約で得た満州における権益を着実に実行し始めたのです。

 

◇排外思想をもった国民党

●一方の中国では相変わらず混沌が続いていました。1911年に孫文による辛亥革命が起き、その翌年、清朝が倒れ中華民国が成立します。孫文亡き後の国民党の蒋介石や、コミンテルン指導下の中国共産党などが排外思想を国民にばらまきました。「困窮の原因は外国人にある」を煽る。日露戦争後の20年の間に日本が行った満州の近代化の努力に感謝する人々ではなかった。

 

◇世界の共産化を図るコミュンテルンの影

◇「リットン調査団」は何を語ったのか

●日本は満州全土を占領するや、1932年満州国を建国しました。国家元首には清朝最後の皇帝溥儀が就きました。関東軍が復辟を願う溥儀を利用し、また同時に溥儀が関東軍を利用したのです。

●この年、中国が国際連盟に満州事変を訴えた。リットン調査団が派遣された。

●イギリスR・Fジョンストンの「紫禁城の黄昏」第16条でリットン報告書の(2)に異議を唱えている。満州には満州の独立運動が公汎にあったと明言しています。

●調査団の提言(2)・・満州には中国主権下の自治政府を樹立し、非武装をする。(3)日本の特殊権益を認める。以後20年間、満州は歴史上はじめて漢人の主権下に入ったのです。ただし軍閥や馬賊に支配されており、実効支配はされていませんでした。

 

◇満州は中国のものなのか

●満州事変は今日の国際常識では文句なしの侵略戦争です。主権者の中国に無断で軍隊を侵攻させたうえ、占領地に満州国という傀儡政権まで作ったからです。五族協和(満州族、蒙古族、漢族、朝鮮族、日本族の協和)。しかし主導権、国防、治安、は日本に委ねられていた。どう見ても侵略となります。

●なぜリットン報告書は「国連監視の下で自治政府を作り日本の特殊権益を認める」という結論を出したのか。イギリスのリットン伯爵を長とする英独仏伊米合わせて5名の委員、オブザーバーは日本と中国から1名の調査団だった。

●理由は3つ。第一は、満州とは歴史的に満州族のものでした。歴素敵に中国とは万里の頂上より南の、漢族のしはいする土地を指していました。ところが1644年、満州に生まれた清国が万里の長城を越え北京を占領し満州人による中国支配がはじまったのです。この清国は百年もしないうちに万里の長城を大きく越えて南北モンゴル(今の内蒙古と外蒙古)、西は東トルキスタン(今の新疆)やチベット、東は台湾まで領土を広げてしまいました。

●中国が現在、台湾、新彊、チベットを自領と言うのは満州族の作った清国領土が最大に達したこの頃の版図を基準に考えているからです。

●中国、すなわち漢族の国は満州族、朝鮮族、日本族を二千年間も東夷と呼び蔑視していましたが、そのうちの満州族に征服されていたほぼ250年間ほどの状態を基準としているのです。

●全盛期から100年もたたないうちに清国は衰退を始め、19世紀になるとイギリスを筆頭に列強諸国の餌食となり半植民地となりました。

●1911年、漢族の孫文らが清朝打倒に立ち上がり、(辛亥革命)、翌1912年、南京に中華民国を樹立し、清朝最後の皇帝である宣統帝(溥儀)は退位して清国は276年の幕を閉じたのです。この地点まで、中国イコール漢族が満州を直接統治したことはなかったのです。

 

◇次々と犯された日本の権益

●第二に、張作霖は日露戦争中、ロシア側のスパイとして活動していたため日本軍に捕まった人間です。息子の張学良は激しい反日、国民党と一緒に活動。リットン報告書は国際法で認められた日本の特殊権益が次々と犯されたことが日本をこのような行動に駆り立てたと考えたのです。

 

◇移民受入先としの大地

●第三は経済的側面です。1929年のウール街での株式暴落の諸国への波及。英米仏輸入高関税。日本は輸出ができなくなった。

●大きな植民地を持つ国がブロック経済に走る。日本も生存のためには植民地を持たなくては、と切実に考えるようになったのです。さらに人口問題。明治20年代から国策として貧困農民層のブラジルやアメリカへの移住が奨励されていた。1924年アメリカで排日移民法が成立。移民受け入れ先として満州へ。国民、新聞もこぞって満州進出支持したのです。

 

◇帝国主義時代のルールとは

●今から見ると、絵にかいたような侵略と見えるのに、リットン調査団があのような少々日本よりの結論を出した理由の底には、これら三つのことがあると考えられます。

●満州が中国の主権下といえグレイゾーンだったこと、日本の権益は条約によって守られていたものなのに中国がそれを無視する違法な行為に次々に出たこと、大恐慌でのブロック経済により市場を締め出されたり、アメリカへの移民さえ拒否された日本の生存のために外に出るしか他なかったなど、日本の立場を斟酌したのです。

●西ヨーロッパの赤化に失敗したソ連が、満州、中国に焦点をしぼり活動を活発化してきているから、それを防ぐ意味で満州の日本の勢力が存在することは悪くないと思ったことでしょう。

●満蒙を中国から切り離す。ソ連の南下、アメリカが太平洋から攻めて来る可能性ある。ソ連やアメリカが相手となれば資源獲得のためにも満蒙は不可欠と考えていました。満州は鉄石、炭豊富。

●いずれにせよ、満州事変から満州国建設についてリットン調査団はこのように結論を下しました。

●中国は19世紀以来、列強から領土を蚕食される。弱肉強食が帝国主義の唯一のルール。

日本も例外ではない。パリ講和会議での山東半島の権益獲得は合法的となった。当事者中国をないがしろにしたやり方は余りにも卑劣です。

●清朝末期から第二次世界大戦までの100年間の、列強と中国の関係は、狡猾かつ卑劣な列強の合法的進出に対し、無恥蒙昧な中国が不法だが同情すべき暴行虐殺で対抗する、という図式だったのです。

●これが帝国主義の姿だった。日本は他の列強が散々してきたことを手本にしたのでした。

 

◇「昭和天皇独白録」はこう語る

●欧米諸国も歓迎したリットン報告書を日本は拒否したのです。日本政府は満州国を承認しました。

5.15で殺害された犬養首相はリットン報告書と似通った考えで、独立国ではなく中国主権下の親日政府実現を思っていました。

●1933年国際連盟総会でリットン報告書は可決、松岡洋右全権は退場し、日本は国連から脱退。昭和天皇もリットン報告書は妥当と思われていた。「昭和天皇独白録」。昭和天皇の直観。政府方針に強い不満を持っていました。

●関東軍が独断で満州事変を起こした後、政府は国連脱退という愚行まで行ってしまいました。

●リットン報告書を受諾して、すなわち名を捨て実を取り、アメリカやイギリスにも満州国の利権を一部譲ってやる位のことをしておけば、日本は英米と協力し共産ソ連の南下に対抗できた。絶好の機会を逸した上に日本は世界の孤児となったのです。

 

◇盧溝橋で何が起きたのか

●中国軍による度重なる協定違反の攻撃。上海において始まった。無数の挑発に耐えられなくなった結果、日中戦争が始まった。

 

◇得るもののない日中戦争

●政府、陸軍参謀本部にとって中国との戦争は気乗りしないものだった。優先は宿敵ソ連との戦争、中国の利権を狙うアメリカとの戦争だった。プラス建設された満州国を後方基地に育てる必要あった。

●ドイツが日独防共協定を結びながら中国に肩入れするという裏切りに近いことをしていた。当時蒋介石軍の使っていた武器の大半はドイツ製だった。ドイツ人ラーベ。「ラーベの日記」の虚偽。

 

◇上海陥落

●ドイツ軍顧問ファルケンハウゼン指導の蒋介石率いる、国民政府軍(中国軍)を突破し、上海を陥落させた。南京へ潰走する国民政府軍を追撃し、南京戦が始まった。

 

◇蒋介石の怒りも当然だった

●1935年あたりから日本は満州国の隣の華北を影響下におくことを画策した。戦線拡大。

1938年近衛首相・・和平の道を閉ざす声明。国際社会は、日本が自衛的戦争から和平を求める意思がないととった。

 

◇黒幕は誰だったのか

●短期間で終わると思っていた戦争は南京が陥落しても終わらず。蒋介石が強気。裏には上海戦が始まるとすぐに結んだ「中ソ不可侵条約」がありました。

●1935年のコミュンテルンで宣伝されたように、ソ連の仮想敵国はヨーロッパではドイツ、アジアでは日本でした。日本と中国を本格的な戦闘に陥れることが一番だった。

●そのためにはまず、壊滅寸前だった毛沢東率いる共産軍と蒋介石率いる国民政府軍との戦いを止めさせ、共同して抗日戦争させることです。中ソ軍事同盟により軍事援助を行った。国民政府軍、共産軍を支援し満州への進行を狙った。さらに共産主義を中国全土に広め、毛沢東の共産軍を整備強化しておけば国民政府軍を叩き潰すことも可能になる。スターリンが戦争を続行させていた黒幕でした。

 

◇現代の価値観で歴史を判断するな

●昭和の初め頃から、スターリンは日本軍と国民政府軍の本格戦争をさせるため、中国共産党を操って、日本軍人や日本人居留民を虐殺するなどありとあらゆる挑発を行うように仕向けていました。日中戦争とは正規の戦争とは言えない泥沼でした。

●中国共産党は当時、単にコミュンテルン支部に過ぎなかった。スターリンの入知恵。反共の蒋介石。スターリンの野望。

●日本に中国の主権を奪い日本領とする意図はなかった。

●上海で本格的な日中戦争を始めたのは中国でした。蒋介石国民党。

●数えきれないテロ行為は、主に中国共産党が日本を戦争に引きずりこむために行った挑発だった。

●真珠湾で本格的な日米戦争を始めた日本を、とことん攻撃し占領までしたアメリカが侵略したといわれないのと同様、日本が中国を侵略したとは言えません。当時の常識は自由戦争。とは言え、現代の定義から言えばこれまた侵略です。

●すべての国に民族自決権があります。また正式な条約で認められた日本人租界のある天津、漢口、上海などを中国の攻撃から守るため日本は戦争に入りましたが、そもそも租界とか特殊権益は強者が弱者に突き付けた条約によるものです。

●帝国主義時代のルールでは認められましたが、数十万の軍隊を用いて中国領土の約半分とほとんどの要所を何年も占領し続けたのですから、民族自決にしっかり抵触しています。すなわち、東京裁判で問題とされた満州事変から日中戦争にかけては、現代の定義では侵略と見なせるのです。

●もし現代の定義を適用して日本を侵略国というのなら、英米仏独伊露など列強はすべて侵略国です。

●ヨーロッパ近代史とはアジア・アフリカ侵略史となりますし、アメリカ史とは北米大陸太平洋侵略史となります。清国も侵略国です。この二世紀を彩った帝国主義とは弱肉強食を合法化するシステムだったからです。

 

●最も重要なことは現代の価値観で過去を判断してはいけないということです。人間も国家もその時の価値観で生きるしかないからです。

 

 

第六章・・日米戦争の語られざる本質

 

◇アメリカの本意図は

●日中戦争、日米戦争と分けるのが不可能なほど連結している。大東亜戦争が実態に即した名称なのです。

●戦後、GHQが大東亜戦争という言葉を禁止し、日中戦争、太平洋戦争という言葉を使わせるようにした。

●大東亜戦争という言葉は大東亜共栄圏という日本の掲げた大義を認めるような印象があり、切り離すことで、自らの日中戦争への深いかかわりを糊塗しないと、「日本の不意打ち」が成り立たなくなってしまうからです。

●実はソ連だけではなく米英も日中戦争に深く関わっていたのです。米英は日中戦争の始まった頃から、公然と蒋介石を支援していました。初期はドイツ、それ以後はソ連が武器援助、米英がそれ以外の物資の援助、独ソ戦開始の1941年以降はほぼ全面的にアメリカが援助しました。米英ソの大規模な援助がなければ、日中戦争など日本軍が考えていた通り、1937年南京が陥落した時点で国民政府軍と休戦となっていた可能性が高いと思われます。

●百万近い日本軍を中国大陸に貼り付けさせ、日中両国に膨大な犠牲を出させ疲労させたのは、日本の意思ではなく中国の意思でもなく、米英ソの意思だったのです。

 

◇米英が中国を支持した理由

●アングロサクソンとは世界で最も長期戦にたけた民族です。彼らが中国支援に傾いたのは、5つの要素があったからと考えられます。

 

●第一は、市場としての中国です。中国市場を日本に独り占めさせない。

●フロンテア精神の国アメリカは十九世紀までに北米大陸を制覇し、続いて太平洋を制覇し、潜在的巨大市場の中国大陸を次のフロンテアと見なしました。

 

●第二はナチスドイツの台頭です。日中の戦争で、英ソ共に西側のドイツ国境に軍備増強できた。またアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、ソ連に友好的で、ソ連を守りたいと考えていました。

 

●第三は人種です。日本と中国の戦争を長引かせ、両者共倒れとなり、植民地権益への脅威となり始めた有色人種の日本を抑えることができるとの、阿吽の呼吸が米英にあったと思われます。そのうえ、日本は第一次世界大戦のパリ講和条約で、「人種差別撤廃」を提案したとんでもない国なのです。

●当時人種差別は、イギリスの植民地を見ても、アメリカの黒人を見ても、極めて激しかったからです。黒人に普通選挙権が保証されたのは1965年です。

●日米戦争と人種差別については、サセックス大学の歴史学者クリストファー・ソーン教授がこうかいています。「ルーズベルトによれば、日本人の侵略行動はおそらくその頭蓋骨が白人に比べて未発達であるせいだというのであった」「チャーチルが中国人のことを『細目野郎』といい」「アメリカとイギリスは、極東をめぐる意見の対立にもかかわらず、1941~1945年の戦争に関して、本質的には西側の白人の政治的・経済的秩序を代表していた。両国とも『持たざるもの』ではなく、『持てるもの』であり、『帝国主義的』国家であった」。「ネルーの妹パンディット夫人は、1945年にアメリカを訪れたとき、太平洋戦争は本質的には人種差別戦争だと述べた」

●日中が手を携えるということは白人にとって悪夢中の悪夢だったのです。これは現在に続いています。この二つを対立させる、というのは今も欧米の基本戦略なのです。

 

◇揺れ動く米国世論

●第四は、中国の世界一の宣伝力と、それに動かされた米国世論です。

●中国へ日本が無法無慈悲な侵略を行っている、という「国民党中央宣伝部国際宣伝処」が中心となり国際世論とりわけアメリカに十八番と言える嘘八百の大宣伝を行った。米国世論への工作。蒋介石夫人宗美齢。ルーズベルト夫人。抗日戦への援助を訴えた。タイム社長ヘンリー・ルースは親中反日。

●宗美齢は、日中戦争でアメリカを中国べったりにする上で決定的な役割を果たした。

●日中戦争後の国共内戦においても彼女は国府軍への援助をアメリカに求めたが、ソ連スパイが浸潤していたトルーマン政権に拒否され、やむなく蒋介石と共に台湾へ逃げ出すことになりました。

 

◇マニフェスト・デスティニー

●アメリカでは、1830年にジャクソン大統領が議会で、「インデアンは白人と共存し得ない。野蛮人で劣等民族のインデアンはすべて滅ぼされるべきである」と演説した。

●1940年代には、「マニフェスト・デスティニー(明白なる天命)」というスローガンで、インデアンを虐殺し、黒人を奴隷化しながら白人種が西部開拓を推し進めることを正当化しようとするものです。バッファロー絶滅。メキシコの属国の「テキサス共和国を併合」すると同時に、メキシコに戦争を仕掛け、カリフォルニアやニューメキシコ、ネバダ、アリゾナ、ユタ、コロラドなどの諸州を強奪し、アラスカをロシアから二足三文で買収しました。

●1980年代までに西部をすべて手中にすると、今度は新しいフロンテアを海外に求めました。「マニフェスト・デスティニー」は自由、平等、キリスト福音を広める明白な天命と変質したが、実際は帝国主義的な領土拡大を正当化するためのものでした。スペインに戦争を仕掛け中米を植民地に。ハワイ王国を滅ぼし併合。フィリピン、グアムをはじめ太平洋の島々を植民地にした。最後の大フロンティア、中国に手が届いた。ここには強国の日本の他に英独仏露などの列強がすでに権益をもっていた。後発のアメリカは門戸開放、機会均等、領土保全などのきれいごとを唱えながら中国市場へ進出し始めた。

●アメリカ人の意識の中で中国は「アメリカのイデオロギーと経済的拡張の新しいフロンテアのシンボル」となったのです。(『アメリカ外交の悲劇』ウイリアム・A・ウイリアムズ著)

 

◇親中反日の精神

●第五はアメリカに広く深く根付いていた親中反日の精神です。中国に来た宣教師・日本人よりはるかに教化しやすい中国に好意。

●そうした中の満州事変。蒋介石がキリスト教に改宗。パール・バックの大地がピューリッツァー賞でアメリカ人の間に親中感情が高まる。

●日露戦争で勝った日本を中国権益におけるアメリカのライバルと見なすことで生まれた反日感情は、アメリカ社会で成功し始めた日本人に対する反感と重なり、1924年に「排日移民法」などが定められた。1931年の満州事変を通して更に確かなものになりました。

●中国への判官びいき。タイムは蒋介石を「中国のナポレオン」とまで称えた。

●アメリカ人にとって日本は、すでに西洋と対等な地位を占め、白人優位に楔を打ち込もうとする生意気な帝国主義者であり、一方中国は未開ながらも巨大であらゆる可能性を秘めた、かつての自分たちを思わせるロマンチックな夢の天地だったのです。

●アメリカは、いずれ巨大な歴史の力が中国を日本以上に発展させる。日本との関係を犠牲にしても中国との友好を築こうと思っていたのです。イギリスや他のヨーロッパの諸国も同じでした。この中国びいきは今も欧米諸国に潜在し息づいているのです。

 

◇宣教師というフィルター

●このような反日感情が、主に2500人という在中国宣教師やその関係者からの偏った情報によってアメリカで醸成されました。宗美齢、パール・バック、タイム社長ヘンリー・ルースなども宣教師がらみです。彼らは本国に親中反日のニュースをひっきりなしに流したのです。南京事件もそうでした。

●布教活動が国民政府に嫌われないこと、中国の布教活動が実を上げないと米国からの寄付金や支援金

が増えない、宣教師達は中国があたかもキリスト教国になりうるかのような錯覚をアメリカ人に広め、中国への援助を増加させました。在中および本国の宣教師達はアメリカにおける一大ロビイストとなっていったのです。宣教師やその関係者達により作られた親中反日。宣伝力は中国と日本は格段の差があった。

●このアメリカの宣教師達の主目的は決して達成されませんでした。戦後、共産軍が日本軍の代わりに入って来るや、キリスト教もどきの人々はあっという間に共産主義者に改宗してしまったからです。

●中国人にとって政府や宗教やイデオロギーなどどうでもよいのです。三度の食事をきちんと与えてくれるならそれ以外はどうでもよい、という現実主義が三千年の伝統なのです。

 

◇三つの援蔣ルート

●アメリカが日米戦争に先立つ日中戦争において既に中国への膨大な援助を与えていたこと、それに太平洋における唯一の強敵であり憎むべき日本を疲弊させようと企んでいたことは明らか。

●米英による援蔣ルートは全部で三つありました。

●一つ目は香港ルート。イギリスが租借していた香港で陸揚げし、内陸部へ運ぶルート。これは日本軍が1938年広州を占領したため消えた。

●二つ目は仏印(フランス領インドネシア、ラオス、ベトナム、カンボジア)ルートで、ベトナムのハイフォン港から昆明まで。日本軍が1940年北部仏印に進駐したため消えた。

●三つ目はビルマルート。通常援蔣ルートというとこれです。イギリス領ビルマから昆明まで。日本軍が1942年ビルマを占領したので消えた。その後はイギリス領インドのアッサムからヒマヤラ山脈越えて空輸および山越えの陸路ルート。日本軍がインド北東部でインパール作戦を行ったのはこのルートを潰すためでしたが補給がうまくいかず失敗。

●日本軍は東南アジアを侵略したとよく言われますが、主たる理由はこの援蔣ルートを潰すためでした。実際1940年の仏印ルートが消された後は中国での戦闘は下火になった。日中とも戦争などしたくなかったからです。

●日中戦争はソ連が火をつけ、その日が消えぬよう米英が懸命にあおり続けた戦争だったのです。米英ソの目的は十二分に達せられました。

●日中戦争で日本軍は100万近い軍隊を占領地と補給線の防御のやめ中国に駐留させることとなり、ソ連やアメリカとの戦いに備えるべき国力をすり減らしました。またスターリンの思惑通り、反共の国民政府軍はとことん打ち破られたため、終戦後には主敵の共産軍にあっという間に負けて台湾に追い出されました。しかし米英は最終的には策士スターリンに完敗しました。日本を追い出した後の満州、中国、北朝鮮はすべて共産化され、門戸開放どころではなくなってしまったからです。

 

◇潜行する爆撃計画

●アメリカの中国への援助は援蔣ルートに止まりません。真珠湾攻撃の一年前、1940年12月、ルーズベルト大統領、財務、国務、陸軍、海軍の四長官が集まり、中国南東部基地から長距離爆撃機B17を用い、日本本土の工業地帯を爆撃する計画を相談しました。この計画はさらに米統合参謀本部で詰められ、「JB三五五」という作戦計画となり、翌1941年7月23日に大統領の許可を得ました。350機の戦闘機と150機の長距離爆撃機により、9月には東京や大阪に焼夷弾をばらまくものでしたが、ヨーロッパでの需要を優先で縮小されました。通称フライング・タイガーズと呼ばれる戦闘機だけの空軍が国民政府軍を支援することになりました(『ルーズベルト秘録』)。中国の記章を付けた100機の米軍戦闘機に搭乗するのはアメリカのパイロット達でした。200人の地上整備員まですべて米軍人。インドの英空軍と協力。

●日中戦争が宣戦布告をしていないのを利用してアメリカが一方的かつ大々的に中国(国民政府軍)への無償の軍事物資援助(武器貸予法)をしていたことを考えても、日米戦争は実質的には12月の真珠湾攻撃以前に、アメリカの直接攻撃すれすれの間接攻撃によりすでに始まっていたのです。

 

◇資源を求める日本

●1940年の仏印ルートへの北部仏印の進駐は、フランスの許可を得、アメリカも承認していた。ところがアメリカは進駐にたいしてすぐさま鉄屑の対日禁輸、続いて12月には鉄鋼、翌1941年1月には銅、亜鉛、ニッケル、と、じわじわと禁輸を拡大していきました。必要作用減の石油はまだ禁輸となっていませんでしたが、肝心の航空機ガソリンはすでに禁輸されていました。

●日本は石油資源の豊富な蘭印、オランダ領インド(今のインドネシア)からの石油輸入を図ろうとオランダと交渉しましたが、すでにアメリカの手が回っていて拒否されました。

●資源を求めて1941年4月から近衛内閣はアメリカと直接交渉を始めましたが、のらりくらりだった。それどころかアメリカハ1941年7月25日には在米日本資産を凍結するという挙に出ました。これでは貿易決済もできません。これは国家による強盗行為であり、宣戦布告に準ずるものです。続いて英蘭もこれに同調。

●外交交渉で埒があかず、1941年7月戦略物資のある南部仏印に進駐。アメリカは南部仏印進駐の4日後に石油の対日全面禁輸を発表し、英蘭がそれに続きました。中南米からの石油輸入を防げるためパナマ運河も閉じる。日本の石油備蓄は2年分。鉄も石油も7割以上はアメリカだった。このままでは日本経済の破綻は時間の問題です。

●日本の仏印進駐の1か月後の8月末には、イギリスとソ連は示し合わせ、石油確保でイランに侵攻。在米日本資産の凍結、英蘭を引き込んでの石油や鉄などの対日全面禁輸は、非人道的な侵略を許さない、という表向きとは全く異なる顔をもつものだった。

●日本からいかなる敵対行為も受けていないアメリカが、日本に対しこれほどまでに強硬かつ性急な制裁を行ったのは、ヨーロッパが緊急事態となっていたからです。

●1941年6月に独ソ戦が始まり、ドイツ軍がモスクワ周辺まで攻め込んでからは、どうにかして日本に「最初の一発」を撃たせるよう苦心していました。日米戦争が始まれば日独伊三国同盟により恐らく米独戦争が始まり、晴れてソ連やイギリスを助けるためにヨーロッパへ軍隊をおくることができると考えたのです。ドイツの最初の一発をと、Uボート攻撃だったが挑発に乗らなかった。

●コミュンテルンのスパイ、尾崎秀美、西園寺公一、からの情報をソ連スパイゾルゲがモスクワに送る。日中戦争の泥沼化の裏には、政府、軍部に食い込んだ多くの共産主義者やコミュンテルンのスパイがいた。

●すべての資源を止められた日本の選択肢は、アメリカの脅威に屈するか、意地を張って野垂れ死にするか、勝算のないアメリカとの戦いを始めるか、の三つしかありません。初めの二つは誇り高い日本人にとって論外でした。日本はもっともしたくない日米戦争を準備しつつ、1941年4月かワシントンで行われていた日米交渉に全力をつくすことになりました。

 

◇ハル・ノート

●「帝国国策遂行要領」で日米首脳会談を訴えるもルーズベル大統領は断る・・尾崎の逮捕の2日後に近衛首相総辞職。

●代わった東條首相は、対米英蘭戦争の本格的な準備にかかるとともに、11月20日までにアメリカに最終交渉案を二つ用意した。11月26日、ルーズベルト大統領はいわゆる「ハル・ノート」を交渉役の野村、来栖大使に逆提出しました。日本軍の仏領インドネシアばかりか中国からの撤退をも要求するという内容のものでした。

●中国からの撤退・・1933年の国際連盟で満州国はみとめられていませんし、満州国が法的には中国からの租借地ですから、当然満州からの撤兵も含まれます。

●日本はそれまでの交渉経過を無視した、このハル・ノートを最後通牒と受け取りました。事実上、これはアメリカの宣戦布告とも言えるものでした。

●日本の外交暗号を完全に解読していたアメリカは、11月末までに日米交渉がまとまらない場合に日本は交渉を打ち切るということを知っていましたから、ハル・ノートによって交渉が決裂し、日時をおかずして戦争になると確信していました。ハル・ノート提出日に、無制限潜水寒作戦を指令し、翌日にはハル国務長官はスティムソン陸軍長官に「今や問題はあなたとノックス海軍長官の手中にある」と伝えました。日本がハル・ノートへの回答する前のことでした。

 

◇東條の涙

●アメリカ駐日大使グルーも「この時、開戦の牡丹は押されたのである」と回顧録で述べています。

●実はそれ以前に日米戦争はほぼ不可避の段階に入っていました。対日禁輸、不日米交渉で。

●日本は11月5日の御前会議で、11月末までに交渉がまとまらなければ12月初旬に対米宣戦布告をすると決定していました。

●真珠湾攻撃命令は12月1日の御前会議の翌日2日に、軌道艦隊への「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号文で発せられました。したがってハル・ノートは開戦ボタンに過ぎず、日本は国家存立を危うくする全面的対日禁輸を見て、自衛のため、何が何でもしたくなかった超大国アメリカとの戦いに、開戦したのです。

●そのそも、天皇陛下が、対米戦に反対でした。9月6日の「帝国国策遂行要領」に天皇が難色。あくまで外交解決を支持。12月1日の御前会議に再提出。

 

◇アメリカの工作は実った

●ハル・ノートは、東京裁判での日本側弁護人ブレイクニーが、米国人歴史館アルバート・ノックの著作から引いて、「こんな最後通牒を出されたらモナコやルクセンブルグでも武器をとって立つ」と言ったほどの高圧的かつ屈辱的なものでした。

●ルーズベルト大統領はヨーロッパへの派兵を強く望んでいました。アメリカ政府内の要所にいたソ連スパイ達が必死に日米交渉を決裂させ、アメリカ参戦に持ち込もうとしていました。

●しかしながら、議会はもちろんアメリカ国民の八割以上は参戦に反対であり、ルーズベルト自身、前年の大統領選挙で「アメリカの若者の血を一滴たりとも海外で流させない」と公約して当選していました。この世論の厭戦気分を一掃し公約を破棄するには、日本に「最初の一発」を撃たせ、国民を憤激のるつぼにおとし入れるしかない。ルーズベルトは着々と手を打った。

●74歳の陸軍長官スティムソンはハル・ノートの出された翌日の日記にこう書いています。「ルーズベルトは次の月曜日にも日本が攻撃してくるかもしれないと言った。問題はどうやったら彼等に最初の一発を撃たせられるか、しかも我々の損害をさほど大きくせずに、ということだった」。

●ハル・ノートを起草したハリー・ホワイト財務次官補は、戦後になって解読されたヴェノナ文書(ソ連の暗号文を米の情報機関が解読したもの)によると明白なソ連のスパイでした。ハリー・ホワイトは終戦の3年後、共産主義者として告発され非米活動委員会に召喚された後、自殺しました。

●ホワイトなどの工作員達は、ソ連の生存はアメリカの参戦に依存し、アメリカ参戦は日本軍の「最初の一発」に依存すると捉え、日米交渉決裂のため必死の工作を行ったのです。ハル・ノートは決裂させるための切り札でした。

 

◇開戦に日本人は何を思ったか

●要するに、日米戦争は、自身、社会主義者に近く、ソ連に親近感をもつルーズベルト大統領が、ソ連そしてイギリスを窮地から救い出すため、権謀術数をつくして日本を追いこみ、戦争の選択肢しかないように仕向けたものでした。

●ほとんどの国民は「すっきり」した。軍部ばかりではなくすべて国民が、在米日本資産の凍結、全面禁輸、ハル・ノートと愚弄され続け、鬱屈していましたから、息苦しさから一気に解放されたような気分になったのです。

●東亜新秩序などという美しいスローガンはあるものの、弱いものいじめに近い日中戦争は、武士道精神のまだ残っていた多くの国民にとって憂鬱な戦いだったのです。それに比べアメリカは、GDPで日本の12倍、鋼材生産は17倍、石油は何と日本尾700倍もある国なのです。祖国の名誉と存亡をかけた戦いに、民族としての潔さを感じ高揚したのです。

 

 

第七章・・大敗北と大殊勲

 

◇マッカーサーも認めた自衛戦争

●東京裁判を開廷し日本を侵略国家だと断罪した当の本人マッカーサーは、1951年の米国上院軍事外交合同委員会で次のように答弁しています。「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿がない、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域に依存していたのです。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」(『東京裁判 日本の弁明』)。

●すなわち、日本にとって自衛の戦争であった、と証言したのです。これはドイツに、明確な世界制覇の意思と共同謀議があったのと対照的です。

 

◇日本の人種差別撤廃案を斥けたウイルソン大統領

●第一次世界大戦後の1919年に開かれたパリ講和会議でも、十九世紀以来の帝国主義、「文明の神聖なる使命」がまかり通っていました。

●この会議に参加した日本は国際連盟規約に「人種差別撤廃」を入れるように提案しました。提案はイギリスやアメリカの反対にもかかわらず、結果は賛成11体反対5となりました。可決と思われた時、議長のアメリカのウイルソン大統領が「重要な議題について全会一致が必要である」と言いだし、日本案を斥けたのです。それまでの議決は多数決で決定されていました。

●以後日本に、白人国家とりわけアメリカへの不信が高まりました。これは5年後にアメリカが日本からの移民を全面禁止したことで決定的なものとなりました。

●『昭和天皇独白録』に、「(先の大戦の)原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分なものである。・・・かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない」。

●人種差別を捨てない、ということは少なくともヨーロッパ以外では植民地主義や帝国主義を続ける、という意思表示でもありまます。

 

◇破綻するイデオロギー

●かくして帝国主義は2000万の犠牲者を出した第一次世界大戦の後もしぶとく生き残ったのです。1920年代以降、かろうじて生き残った帝国主義勢力に加え、1922年に初の共産主義国家として誕生し、他国を赤化しようとするソ連、世界制覇を夢見るナチスドイツ、恐慌後の米英仏などによるブロック経済化を見て大東亜共栄圏を目論んだ日本、という新たな膨張勢力が列強として登場しました。

●陣取りゲームともいえる帝国主義。帝国主義のごとき内部矛盾をはらんだイデオロギーは必ずいつか破綻し、大清算される運命にあります。それが第一次世界大戦であり、第二次世界大戦でした。

●同様に矛盾を内包した共産主義は、飢餓や粛清の犠牲者という大実験の後、1990年のベルリンの壁崩壊やソ連の解体とともに大清算されました。やはり矛盾だらけの新自由主義、すなわち貪欲資本主義が、世界を20年ほど跋扈した後、リーマンショック、世界不況、ギリシャ、スペイン、アイルランド、東欧の財政危機、食料や原油の高騰、アフリカや中近東での市民暴動と、未だに大清算が続いています。

 

◇ペリーの衝撃

●世界史の流れに幕末は放り込まれてしましました。1853年ペリー提督が4隻の黒船で浦賀へ来て、江戸幕府に大統領国書を渡しました。

●新しい市場を求めるアメリカは、インドから東南アジア一帯が既に英仏蘭に先んじられたため、最後の大市場、清国に狙いをつけたのです。清への太平洋航路のためにも、薪、水、食料の補給拠点が必要でした。幕府は1年の猶予の後に回答するという確約で帰ってもらいました。

●ペリーの一か月後には、ロシアのプチャーチン提督が軍艦4隻で長崎に来航しました。

●幕府がすぐに軍艦を発注し、各藩に軍艦建造を奨励し、江戸湾警備のため砲撃用のお台場造営に着手しました。様式砲製造の鋳造技術をもつため1853年前後から佐賀藩、伊豆韮山代官所、水戸藩、薩摩藩などで続々と反射炉が作られました。

 

◇横井小楠の卓見

●思想的リーダーにも衝撃が走りました。彼らは1840年から1842年にかけてのアヘン戦争で、大陸中国がどれほど酷い目にあったかよく知っていました。次は日本と身構えました。

●翌1854ペリー再来航。船に乗り込むことを失敗し萩の獄舎に入れられた吉田松陰が『幽因録』を書き、師の佐久間象山に送りました。西からポルトガル、スペイン、イギリス、フランス、東からアメリカ、北からロシアが日本を狙っていること。それに対し武備を増強し、艦船や大砲がそろった時点で北海道を開拓し、琉球、朝鮮、台湾、フィリピン、満州まで進出すべしと主張しています。

●福井藩橋本佐内、福井の松平春嶽、薩摩の島津斉昭なども海防強化を主張。横井小楠の思想は「天皇の下に国家を統一し、人材を広く登用し、議会政治を実現する」というものでした。明治政府が目指したのはまさにこの思想でした。彼は西洋文明の導入と富国強兵を強く唱えましたが、暗殺される3年前に、洋行する二人の甥にこう書いています。

●西洋文明は覇道を目指すが日本は王道をめざすべしということです。日本は欧米のような単なる富国強兵国家ではなく、さらに有徳国家にもなれという高い理想でした。

 

◇独立自尊を守る

●当時ヨーロッパの勢力に蹂躙されていたアジアの中で、日本だけが独立自尊を守ることを決意しました。幕末から明治維新の日本人が、満腔にこの決意を固めたと同時に、その後の流れが決まってしまったのです。

●林房雄氏は『大東亜戦争肯定論』の中で、幕末の1845年から大東亜戦争終結の1945年までを百年戦争としました。私の考えはそれに近く、ペリー来航かの1853年から、大東亜戦争を経て米軍による占領が公式に終わったサンフランシスコ講和条約の発効、すなわち1952年までの約百年を「百年戦争」とします。

 

◇南下政策をとったロシア

●英米仏欄は、アジアの国々とは比較にならないほど成熟した日本の文化や日本人の品格を見て、一様に仰天しました。これらの国は、植民地化は早々と諦めたのです。しかしロシアだけは他の欧米諸国と違い、バルカン半島、中央アジア、中国、極東と、ユーラシア大陸全体であからさまな南下政策をとっていました。不凍港の獲得が大きな目的です。

●1853年オスマン帝国および英仏を相手にクリミア戦争。1860年沿海州、ウラジオストックを獲得、1875年千島樺太交換条約で樺太を獲得、太平洋への進出を可能にしました。1877年露土戦争(ロシア対トルコ)を仕掛け、十九世紀初めから二十世紀初めまで、インド洋に出ることを狙いほぼ一世紀にわたりイギリスとアフガニスタン争奪構想を繰り広げていました。

●欧米勢力の手薄な中国、満州、朝鮮、日本などの極東への意気込みはとりわけおおきなものでした。

 

◇日露戦争の勝利にアジアは歓喜した

●ロシアはその後朝鮮の元山に軍港を作ろうとしたため、イギリスは1885年、極東におけるロシアの南下を牽制する目的で、朝鮮南部沿岸の島、巨文島を占領し兵舎や防衛施設を作りました。ロシアは極東経営に本腰を入れるためにも、モスクワからウラジオストックまで世界一長いシベリア鉄道を建設することにしました。

●その対抗策として独立自尊を守るために日本がとったのは、日中朝で協力し白人の侵略に備えること。これが日本の長期戦略となりました。アジア主義です。富国強兵で日露戦争に進んだのです。

●まず朝鮮を目覚めさせるために日清戦争を戦いました。次いで1904年の日露戦争でイギリスとの日英同盟などにより陸軍国ロシアを撃ち破ることができました。エジプトに至るアジアのすべての国々が歓喜に湧きました。日本とタイ以外はすべて植民地でしたが、アジアに人々に勇気と自信を与えました。

●中国の孫文は「これはアジア人の欧州人に対する最初の勝利であった・・全アジア民族は歓喜し大きな希望を抱くことに至った」、インドのネールは「日本の勝利は私を熱狂させた」、トルコ皇帝は「対馬海戦勝利は武士道によってもたらされたものだ」、ニューヨークタイムズは「日本の勝利は文明の凱旋である」などと絶賛しました。

●十五世紀から始まった白人人種の世界征服に、初めて大きな制動がかけられたという点で、世界史の重大事件に入れてよいほどの事件でした。

 

◇福島安正が流した涙のわけ

●ただし光には影があります。日本のアジア主義が、日露戦争の前後から、日本を盟主とするアジア主義、すなわち大アジア主義というものに少しずつ変質して行ったのです。

●自衛という意識の強かった日本が、日露戦争勝利の自信を胸に、帝国主義列強の仲間入りをしたのです。帝国主義とは、言うなれば「弱いものいじめ」です。これはすべての日本人にとって卑怯なことです。また侵略される弱小国民への惻隠を忘れた主義と言えます。卑怯を憎む心と惻隠は武士道精神の中核なのです。

●明治19年、ビルマを視察し、明治25年シベリア単騎横断で旧ポーランドに入った陸軍情報将校の福島安正は、帝国主義の過酷に涙し、その根本的愚かさに慨嘆し、白色人種による有色人種差別に義憤を感じているのです。

 

◇日本の宿痾とは何か

●当時の日本人が福島と同じく感じていたにも関わらず、日本は、独立自尊という気負った決意のため、帝国主義列強に参加したのです。参加か不参加かを考える前に、欧米列強に対し帝国主義や植民地主義そのものが誤りであり、恥ずべきものであることをしっかり説得し説教すべきでした。

●日本が欧米を説教したことは未だにありません。帝国主義、共産主義、新自由主義、最近ではTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)など、常に欧米の決定したドグマに乗るか乗らないかを選択するのみです。日本の価値観を高く掲げ、迫力をもって欧米を説得説教する、ということを決してしようとしないのは、日本の宿痾(しゅくあ)とも言えます。

●この宿痾により、ついに日本は禁断の道へ入って行きました。1915年第一次大戦中の対支21カ条は、そのはっきりした兆候です。アジア主義は日露戦争前後から大アジア主義となり、昭和には大東亜共栄圏となりました。

●列強のブロック経済化、コミュンテルンの謀略による日中戦争、アメリカの謀略による日米戦争。この間コミュンテルンの強力な動きで、日英同盟の放棄、1927年南京事件で英米と共同行動をとらなかったこと、リットン調査団の報告を不服として国際連盟を脱退したこと、1940年日独伊三国同盟を結んだこと、などなど日本外交の拙劣さが悔やまれます。

●帝国主義の大清算により生き延びるには恐らくアメリカと組むことだけでした。しかしアメリカのフロンテア精神が太平洋と中国大陸であり、当時の日本の生命線と競合し、アメリカに有色人種蔑視がありましたから、かなわぬことでした。これはアメリカが日米蜜月だった日露戦争の直後から、列強の仲間入りをして白人による世界支配を崩し始めた、絶対に許せない日本との戦争計画、オレンジ計画を密かに練り続けていたことからも明らかだと思います。

 

◇他の列強と異なった「日本の高貴な決意」

●アジアの小さな島国日本は、帝国主義の荒波の真只中で、ほとんど不可能ともいえる独立自尊を決意しました。これがすべてでした。この独立自尊を守るため、二千年近い歴史の中で、海外出兵は白村江の戦いと朝鮮出兵だけという、また平安時代には350年、江戸時代には250年の完全平和を貫くという離れ技をやってのけた、世界でも際立った平和愛好家は、帝国主義の荒波に乗るしかありませんでした。こうして百年戦争に入って行きました。

●過去の出来事を、現代の視点で批判したり否定したりするのは無意味なことです。

●無謀にもロシアとアメリカに挑んだことは、別の視座から見ると、日本の救いです。あくまで独立自尊にあったということの証左にもなっているからです。

 

◇百年戦争の末の、日本の大敗北と大殊勲

●百年戦争は日本の大敗北となりました。しかしこれは無益無駄な戦争だったでしょうか。

●大局的に見ると、実は百年戦争は日本の大殊勲だったのです。ペリー来航以来、日本が希求してきたものは、第一に独立自尊でした。そして第二には、そのためのアジア主義、すなわち日中朝が連帯して白人によるアジア支配を食い止めることでした。第一については6年半ほどのアメリカの統治を受けただけで、曲りなりにも有史以来の独立自尊を保つことができました、第二についても、日本はほぼ独力で達成してしまいました。アジアの人々は独立を手中にしたのです。1941年には独立国がアジアでは日本、タイ、ネパールの三国、アフリカではエチオピア、リベリア、南ア連邦の三国しかなかったのですが、その11年後、百年戦争の終わる時点では合わせて百カ国を超えたのです。

●それだけではありません。悲願だった人種差別まで全くなくしてしましました。

●歴史家トインビーは、英紙オブザーバーにこう書きました。「日本は第二次大戦において、自国ではなく大東亜共栄圏の他の国々に思わぬ恩恵をもたらした。(中略)それまで200年の長きにわたってアジア・アフリカを統治してきた西洋人は、無敵で神のような存在と信じられてきたが、実際はそうではないことを日本人は全人類の前で証明してしまったのである。それはまさに歴的業績であった」(1956年10月28日付、藤原訳)

●クリストファー・ソーンは別の著書でこう書きました。「日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西洋帝国の終焉を早めた。帝国主義の衰退が容赦なく早められていったことは、当時は(西洋人にとって)苦痛に満ちた衝撃的なものだったが、結局はヨーロッパ各国にとって利益だと考えられるようになった」(『太平洋戦争とは何だったのか』市川洋一訳、草思社)

●日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、スペクタキュラーな偉業をなしとげたのです。結果的には世界史の大きな転機をもたらしたという点で、何百年に一度の世界史的快挙をやってのけたと言えるでしょう。

 

 

第八章・・日本をとり戻すために

 

◇日本文明の価値観とは

●歴史の断絶とは故郷の喪失のようなもので、祖国へのアイデンティティー喪失につながるのです。(占領軍と日教組の都合で否定されてきた)

●日本文明を特徴づける価値観とは、一つは、欧米人が自由とか個人をもっとも大事なものと考えるのに対し、日本人は秩序とか和の精神を上位におくことです。したがって個人がいつも競い合い、激しく自己主張し、少しでも多くの金を得ようとする欧米人や中国人のような生き方は美しくない生き方であり、そんな社会より、人々が徳を求めつつ穏やかな心で生きる平等な社会の方が美しいと考えてきました。

●独自の美観、価値観はかろうじてながらまだ生きています。

 

◇日本が追求した平和な社会

●帝国主義とは日本人の発想から生まれようもないもので、欧米のものでした。

●金銭的豊かさを追求、他人より自分、自己主張する欧米人は、国際秩序とか平和より自国を尊重し、自国の富だけを求めて自由に競争するという考えになびきやすい。新自由主義は、貪欲資本主義と言えるものでこれもまた欧米のものです。

●日本人が平等を好むのは、自分一人だけがいかに裕福になろうと、周囲の皆が貧しかったら決して幸せを感じることができないからです。人々の心の底流には仏教の慈悲、武士道精神の惻隠などが息づいているのです。

●日本は、帝国主義、共産主義、そして新自由主義と、民族の特性に全くなじまないイデオロギーに、明治の開国以来、翻弄され続けてきたと言えます。

 

◇日本を日本たらしめる価値観とは

●今こそ、日本人は祖国への誇りを取り戻し、祖国の育んできた輝かしい価値観を再認識する必要があります。

●「日本人は聖徳太子以来、和を旨とする国柄です。実際、戦後の奇跡的経済復興も、官と民の和、民と民の和、経営者と従業員の和でなしとげました」

●迫力をもって欧米を叱咤説教しようとしない日本の宿痾により、アメリカ式を無批判にとり入れたから、日本特有の雇用が壊され、フリーターは400万人を超え、完全失業者は300万人を上回ることとなったのです。

●占領軍の作った憲法や教育基本法で、個人の尊厳や個性の尊重ばかりを謳ったから、家とか公を大事にした国柄が傷ついてしましました。GHQの意図したことでした。日本の弱体化。天皇を元首に、長子相続の廃止など「家」を破壊し個人ばかりを強調したのです。

 

◇「個の尊重」より国柄を

●実はこの紐帯こそが、幕末から明治維新にかけて日本人を観察した欧米人が驚いた、稀有の現象の正体だったのです。

●日本に昔からある「長幼の序」や「孝」を幼いうちから教え込まないとどうにもなりません。

●戦前から始まり、戦後には急坂を転がるように進んだ体質の劣化が原因だからです。

●GHQなどによる日本弱体化計画が偉大なる成功を収めたのです。

 

◇論理や合理だけでは人間社会は動かない

●頽廃しているのは日本ばかりではありません。産業革命以来、世界は欧米の主導下にありました。それは、論理と合理と理性を唯一の原理として進む文明でした。帝国主義も共産主義も、その原理から生まれたモンスターでした。どれも理路整然とした論理があります。二十一世紀になってから世界中で一斉に噴出し始めた困難は、この原理の行き詰まりを意味します。

●論理、合理、理性だけで人間社会を仕切るのは不可能ということが露呈したのです。帝国主義、共産主義で犠牲を払い、現在は新自由主義の破綻で苦しんでいます。

 

◇「誇り」を回復するために何が必要か

●WGIP(罪意識扶植計画)で植えつけられた罪悪感を払拭することです。戦勝国の復讐にすぎない東京裁判の断固たる否定でなければなりません。そして日本の百年戦争がもたらした、世界史に残る大殊勲をしっかり胸に刻むことです。

●その上で第二は、アメリカに押しつけられた、日本弱体化の憲法を廃棄し、新たに、日本人の、日本人による日本人のための憲法を作る上げることです。現憲法では独立国ではなくなっている。

●次いで第三は、自らの国を自らで守ると決意して実行することです。他国に守ってもらうは属国の定義。軍事力を持った上で、アメリカとたいとうで強力な同盟を結ばねばなりません。

●この三つがなされ、日本の真髄と言える美意識と独立自尊がとり戻されて初めて、ペリー来航以来の百年戦争が真の終結を見るのです。

 

◇苦境を克服してこそ高みに達する

●日本人の築いた文明は、実は日本人にとってもっとも適しているだけではありません。個より公、金より徳、競争より和、主張するより察する、惻隠や「もののあわれ」などを美しいと感ずる我が文明は、「貧しくともみな幸せそう」という古今未曽有の社会を作った文明なのです。

●日本人特有のこの美観は普遍的価値として今後必ずや論理、合理、理性を補完し、混迷の世界を救うものになるでしょう。日本人は誇りと自信をもって、これをとり戻すことです。そして世界に発信し訴えていくことです。

●スマイルズは前述の書で次のように言っています。「歴史を振り返ると、国家が苦境に立たされた時代こそ、もっとも実りある時代だった。それを乗り越えて初めて、国家はさらなる高みに到達するからです」(藤原訳)現代の日本はまさにその苦境に立たされています。日本人の覚醒と奮起に期待したいものです。

数学者 藤原正彦氏  
数学者 藤原正彦氏  

 

藤原 正彦(ふじわら まさひこ、昭和18年(1943年)7月9日 - )は、日本の数学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は数論で、特に不定方程式論。エッセイストとしても知られる。妻は、お茶の水女子大学で発達心理学を専攻し、カウンセラー、心理学講師そして翻訳家として活動する藤原美子。新田次郎、藤原てい夫妻の次男として、満洲国の首都新京に生まれる。ソ連軍の満洲国侵攻に伴い汽車で新京を脱出したが、朝鮮半島北部で汽車が停車したため、日本への帰還の北朝鮮から福岡市までの残り区間は母と子3人(兄、本人、妹)による1年以上のソ連軍からの苦難の逃避行となった。母・藤原ていのベストセラー『流れる星は生きている』の中でも活写されたこの経験は、本人のエッセイの中でも様々な形で繰り返し言及されており、老いた母を伴っての満洲再訪記が『祖国とは国語』(2003年)に収録されている。

 

 

 

■ ひとりなら、それでいいじゃない 曽野綾子著

 

「ひとりなら、それでいいじゃない」 曽野綾子著

2022/7月 21/03/30読了

 

孤独の芯には「ぬくもり」がある。

人に会えない、頼れない・・・

 

そんな時代こそ、

ひとりの時間を愉しむ余裕を持ちたい。

 

作家 曾野綾子氏  
作家 曾野綾子氏  

 

曾野 綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 - )は、日本の作家。「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。

 

「ひとりなら、それでいいじゃない」 曽野綾子著
「ひとりなら、それでいいじゃない」 曽野綾子著

 

 

 

■ 驕れる白人と闘うための日本近代史 松原久子著

 

「驕れる白人と闘うための日本近代史」 松原久子著

2022/6月 21/02/03読了

 

「我々の歴史こそ世界史であり、あらゆる民族は我々の文明の恩恵に浴することで後進性から救われてきた」そんな欧米人の歴史観・世界観に対し、

日本近代史に新たな角度から光を当てることで真っ向から闘いを挑む。

 

刊行当時、ドイツで大きな物議を醸した本書は、

同時に、自信を失った日本人への痛烈な叱咤にもなっている。

 

欧米優越論を覆す「挑発」の書!

すごい本でした。

 

ドイツ評論家、作家 松原久子氏 
ドイツ評論家、作家 松原久子氏 

 

松原 久子(まつばら ひさこ、1935年5月21日 - )は、日本出身の学者、ドイツ評論家、著作家である。京都府出身。ドイツ・ペンクラブ会員[2]。アメリカ合衆国カリフォルニア州在住。生家は京都市の建勲神社で、同市で育つ。国際基督教大学を1958年に卒業後、アメリカ合衆国・ペンシルベニア州立大学(舞台芸術科)で修士号取得、日本演劇史を講義した。その後、ドイツ・ゲッティンゲン大学大学院にてヨーロッパ文化史を専攻、1970年に博士号(日欧比較文化史)を取得した。ドイツでは週刊の全国紙「DIE ZEIT」でコラムニストを務めたほか、西ドイツ国営テレビ(当時)で日欧文化論を展開。1987年にアメリカ合衆国・カリフォルニア州に移住。スタンフォード大学フーバー研究所特別研究員を経て、著作活動を続けている。版画家の松原直子は妹。現在88歳。

 

「驕れる白人と闘うための日本近代史」 松原久子著 
「驕れる白人と闘うための日本近代史」 松原久子著 

 

 

 

■ 終わった人 内館牧子著

 

「終わった人」 内館牧子著

2022/5月 18/04/13読了

 

定年って生前葬だな。これからどうする?

シリアスに、ユーモアに

そしてリアルに描く

 

非常に面白い、考えさせる本でした。リアルですね。

 

「終わった人」 内館牧子著
「終わった人」 内館牧子著

 

 

「終わった人」 内館牧子著 要約

 

 

■先が短い幸せ

 

先が短いということは。決して不幸とばかりは言えない。

人生において。生きていて、「終わる」ということ状況は、まさしく適齢でもたらされる。

 

定年が六十歳から六十五歳であるのも、実に絶妙のタイミングなのだ。

定年という「生前葬」にはベストの年齢だ。

 

あとわずか十五年もやりすごせば、本当の葬式だ。

 

先が短いという幸せはどん底の人間でなくても、六十過ぎにはすべて当てはまる。

 

「先が短いのだから、好きなように生きよ」ということなのだ。

 

「どこ吹く風」で好きなように生きればいい。

 

これは先が短い人間の特権であり、実に幸せなことではないか。

 

 

■お袋の話

 

八十八歳から見れば、六十六歳はいい塩梅の年頃で、これから何でもできる年代なのだ。

 

六十六歳は終わった人どころか、明日がある人なのだ。

脚本家、作家、作詞家 内館 牧子氏 
脚本家、作家、作詞家 内館 牧子氏 

 

内館 牧子(うちだて まきこ、1948年9月10日 - )は、日本の脚本家、作家、作詞家。東日本大震災復興構想会議委員。東京都教育委員会委員、ノースアジア大学客員教授。元横綱審議委員会委員(2000〜2010年)。秋田県秋田市土崎港生まれ。東京都立田園調布高等学校を経て、1970年(昭和45年)、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒。東北大学大学院文学研究科修士 (文学)。1988年(昭和63年)40歳にして脚本家デビュー。2003年の春より3年間東北大学の大学院で大相撲を研究、2006年より秋田経済法科大学(現・ノースアジア大学)客員教授、2007年より武蔵野美術大学映像学科客員教授としてシナリオ制作の実習授業を担当。

 

 

 

■ 信長はなぜ葬られたのか 安部龍太郎著

 

「信長はなぜ葬られたのか」 安部龍太郎著

2022/4月 18/08/23読了

 

世界史の中の本能寺の変を独自の視点て語っています。

 

戦国時代は世界の大航海時代

戦国時代は空前の高度瀬尾朝時代

戦国時代は重商主義時代

江戸時代は大航海時代から鎖国へ

 

こういう視点もあるのかという本です。

 

265年間の鎖国江戸時代を経て、今年は明治維新150年、鎖国がなければどうだったろう?

 

小説家 安部 龍太郎氏 
小説家 安部 龍太郎氏 

 

安部 龍太郎(あべ りゅうたろう、1955年6月20日 - )は、日本の小説家。本名 良法。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。福岡県八女市(旧・黒木町)生まれ。国立久留米工業高等専門学校機械工学科卒。学生時代から太宰治、坂口安吾などの作品を読み、作家を志して卒業後上京。東京都大田区役所に就職、後に図書館司書を務める。1987年に退職し、創作活動に専念する。1988年の『師直の恋』でデビュー。『週刊新潮』に連載した『日本史 血の年表』(1990年に『血の日本史』として刊行)で注目を集め、「隆慶一郎が最後に会いたがった男」という逸話が生まれた。

 

「信長はなぜ葬られたのか」 安部龍太郎著
「信長はなぜ葬られたのか」 安部龍太郎著

 

 

 

■ 人生は70才からが一番面白い 弘兼憲史著

 

「人生は70才からが一番面白い」 弘兼憲史著 

2022/3月 18/06/11読了

 

自分の世界と趣味で上機嫌な人生を・・

 

そろそろ70歳からの過ごし方を考える人には、一つの考え方として非常に参考になると思います。

内容は、ま~ま~かな。

 

「人生は70才からが一番面白い」 弘兼憲史著
「人生は70才からが一番面白い」 弘兼憲史著

 

 

人生は70歳からが一番面白い 弘兼憲史著 要約

 

 

■上機嫌な人づきあい

 

●老化現象をプラス思考へ転換・・老人力がついてきたとプラス思考

●年齢を重ねることは成長の証

●65歳から第二の人生・・80歳から第三の人生

●謙虚に・丁寧に・敬語を使う ことがコツ

●頼まれごとで社会に貢献・・積極的社会貢献・・ボランティア

●相手を立てて・褒めて・譲る・・感謝して・応えて・与える

●自分にとって正論が、常に最善策とは限らない

●人づきあいを整理する・・取捨選択・・人間関係を絞り身軽に

●好きでない人と無理に付き合う必要はない

 

 

■妻と子供から自立して上機嫌

 

●役割を考えて妻から自立する・・妻を役に自由に・・食事・掃除・洗濯

●自立した夫婦関係で、お互いにそれぞれの人生を楽しむ・・生きがい

●子供に依存しない・・依存もさせない・・子供に財産を残さない

●独居を愉しむ・・一人暮らしが楽しい・・もしもの対策はとっておく

 

 

■上機嫌な死に方

 

●墓参りはいらない・・人間死んだらそこで終わり・・戒名はいらない・・自由に

●お墓は遺骨をおいてあるところ・・仏壇は位牌がおいてあるところ

●家族葬・在宅死のすすめ・・介護や延命治療の意思を伝えて置く

①通帳・キャッシュカード・保険の保管場所

②年金や収入と支払いの明細

③健康保険・介護保険の保管場所

④余命告知・延命治療・の希望

⑤危篤時に知らせて欲しい連絡先

 

 

■上機嫌に健康長寿

 

●ストレスを溜めない・・悪いストレスは対処する・・完璧主義を止める

●積極的に笑顔

●頑張り癖をやめる・・自己嫌悪の悪循環にはまらない

●脳内麻薬・・ウオーキング・・非日常を愉しむトライ・・快楽物質

●料理や麻雀で脳を劣化させない

●疲れたら頑張らない・・無理せず一旦引く

 

 

■最後まで上機嫌で楽しむ

 

●なるようになるさ・・すべてを受け入れる・・起こっていないことで心配しない・悩まない

●ま、いいか・・自分を許す

●余命半年でも受け入れる

●今日一日を楽しく・・明日は明日の風・・明日になれば少し楽になる

●分をわきまえる・・人間は生まれながらにして平等ではない・・自分の長所に気づき楽しい人生に

●男は内向して楽しめ・・ジャズ・昭和歌謡・イラスト・写真・寺院・花・古建築・俳句・自分の世界に浸り・趣味に浸り

●自分が楽しければそれで良い・・なにげない風景を楽しむ

●非日常と非効率を楽しむ・・探求心と好奇心を持ち続ける・・新しい物事

●料理・・ポットに、万能だし汁・・水・昆布・煮干し・シイタケ・・一晩冷蔵庫

●勇気をもって金をつかおう

●積極的なコミュニケーションと、人的クロスオーバー

●不平不満を言わない・・疲れることはやめよう・・SNSで不平不満を言わない

●腹が立っても、「ま、いいか」・・「それがどうした」・・「人それぞれ」 と唱える。

 

 

■自分たち世代の責任

 

●団塊世代の責任・・日本の官僚支配や既得権体質を変えようとしなかった

●江戸時代・・幕府官僚、

明治・・官僚主導・大蔵省・裕福家庭の高級官僚

明治の終わり・・軍官僚と大蔵官僚の対立

昭和・・陸軍官僚・・第二次大戦

戦後・・産業発展のため各省庁が許認可権を強める・・大蔵省

1972年田中角栄・・建設省官僚

1974年田中角栄辞職・・大蔵官僚・・地元優先の公共事業予算・・企業は税制優遇・公的融資で配下に

2014年・・内閣府人事局・・表向きは政治家主導でも・・結局財務省が優位

 

●団塊の世代の時代・・大学進学率20%・・勝ち逃げ世代

●今なにが起きているのか判断すること・・責任のある一票を・・自立の先の自律

●改めて歴史観をみがけ・・戦後の自虐的な歴史観の教育・・愛国心やアイディンティティーがない

●いいか悪いかではなく、過去の事実を教えて、その後の判断は本人がする・・それが教育である

過去の日本を否定するだけの歴史教育ではだめ・・愛国心や軍事へのアレルギー

 

●日本人は

①古代から自然のなかに神々を見いだし共存

②独自の文化を大切に

③海外の文化を自分たちのスタイルに融合させた、柔軟性と創造性をもつ

 

●平和の概念も時代によって、国によって、変わる

●非武装中立は夢物語・・話せばわかるでは、一方的に攻められて占領されて国が終わる

●国家は国民を外敵から守らなければないけない・・そのための防衛力

●話し合いには軍事力が必要・・軍備を持たない国はない・・現実的に幸せになる方法を考えろ

●自衛隊も必要、集団的自営権も必要、

●今までの日米安保条約では、日本は自立できない

●北朝鮮、中国の現実的攻撃の現実をみれば

●国防力の強化や集団的自衛権の容認は、日本が自立した平和を維持するための一歩

アメリカに従属することがなく、国家としての独立性を高めよ・・

●日本が軍事国家になることはない・・国を侵略することはない・・今の日本にそんな必要はない

●日本人と日本の国土を守るために必要な軍備であり、集団的自衛権である

●だから、憲法を改正し、軍隊を保持し、侵略戦争はしないという旨を、明文化すべき。

 

漫画家 弘兼 憲史氏 
漫画家 弘兼 憲史氏 

 

弘兼 憲史(ひろかね けんし、1947年9月9日 - )は、日本の漫画家。山口県岩国市出身。有限会社ヒロカネプロダクション(自身の個人事務所)代表取締役。徳山大学客員教授。山口大学客員教授を務めた。BS日本番組審議会委員。2023年4月時点で、日本漫画家協会理事。代表作は『課長島耕作』シリーズほか、『人間交差点』『黄昏流星群』など。松下電器産業(現・パナソニックホールディングス)に3年間勤務した経歴を持つ。しかし、人生のその時々で「楽しさ」を判断基準としていた弘兼は、「(会社員は)俺の仕事じゃない、やっぱり漫画を描きたい」と判断し、退職して漫画家に転じたという。当時、大手企業のサラリーマン経験がある漫画家はまだ少なく、その先駆けとなった人物である。

 

 

 

■ 日本人なら知っておきたい禅 龍雲寺住職・村越英裕著

 

「日本人なら知っておきたい禅」 龍雲寺住職・村越英裕著

2022/2月 18/11/09読了

 

心おだやかに生きる知恵、日本人の心に刻み込まれている禅、日常に禅を取り込むことの意味。

 

禅とは、理想的な生き方を、自分の中に見つけること。

 

「日本人なら知っておきたい禅」 龍雲寺住職・村越英裕著
「日本人なら知っておきたい禅」 龍雲寺住職・村越英裕著

 

村越英裕 プロフィール

村越英裕は、臨済宗妙心寺派・龍雲寺住職、同派布教師。1957年静岡県沼津市生まれ。二松学舎大学大学院修士課程修了。龍澤寺僧堂に入門。中川宋淵老師・鈴木宗忠老師(ともに故人)に師事。「やさしく」「わかりやすく」「楽しく」をテーマに仏教全般、禅宗関係について執筆活動を行う。イラストレーター、シナリオライター。 著書に『イラストでよむ禅のほん』(鈴木出版)、『日本人なら知っておきたい禅』(河出書房新書)『「仏像」の世界』『「般若心経」の世界』(インデックス・コミュニケーションズ)『はじめての禅宗入門』『イラストでわかる[あの世]の物語』(以上、大法輪閣)など

 

 

 

■ 美し国日本の底力 加瀬英明・馬渕睦夫共著

 

「美し国日本の底力」 加瀬英明・馬渕睦夫 共著

2022/1月 18/03/18読了

 

学校では教えてくれない、日本の文化的伝統と、

日本の本質的な形、「和・理性・感性・心・・」

 

■日本の神道は、なぜ世界をリードするのか?

■ユダヤ教徒グローバリズム

■信仰から見えるロシアの大地と国民性

■イスラム教徒と反グローバリズムの潮流

■明治維新150年の岐路に立つ日本

■日本の国体と天皇のあるべき姿

 

「美し国日本の底力」 加瀬英明・馬渕睦夫共著
「美し国日本の底力」 加瀬英明・馬渕睦夫共著

 

 

「美し国」日本の底力  加瀬英明 馬渕睦夫 要約

 

 

■日本の神道は、なぜ世界をリードするのか?

●神道の一番の特徴は「宗教」ではないこと。

神道の初出は「日本書記」(西暦720年)

●神道における神とは・・すべてが神・・生活そのものが「かんながらの道」

●神道は「心」の中に成り立つ・・ユダヤ・キリスト・イスラム・仏教は文字を持つようになってから生まれた宗教・・・神道は文字を持つ前から存在。

●正しいか正しくないかではなく、「清いか。汚れているか」

●日本の文化の源は中国大陸ではなく南太平洋・・オーストロネシア語・人は自然の一部

●11月23日が勤労感謝の日はまやかし・・・GHQの提案で作られた。

「新嘗祭」が正しい。・・天照大神は日本に降りてきて天皇陛下と食事をする儀式。

●超近代国家日本の一番真ん中で、天皇が日本古来のお祭りをおこなっている。

皇居で田植え、稲刈り、蚕、・・神代と現代が繋がっている・・天皇は祭祀を行う神官  である。

●アメリカの占領下で神道は抑圧された・・政教分離・・無宗教で行っているのは中国と北朝鮮。

ロシアはロシア正教。・・現在の日本は無宗教で行っている。

●お天道様・・世間様・・集団・社会は大切

●アメリカ支配で破れなかった日本人の信仰・・神道・・先祖供養。

●相撲はスポーツではなく、「神事」・・神に奉納する芸能・・神道の行事のひとつ

●神社は仏教が日本にきてからできた・・その前は全宇宙が神域。

●エコロジーと共鳴する神道。・・超高等宗教。

●日本は在来の宗教色を出すべき・・政教分離を止めて

●神道とは「感性を理性の上においている信仰」

 

 

■ユダヤ教徒グローバリズム

●ユダヤ人というのは移民を旨とする人たち

●ユダヤ人はユダヤ教を信じてなくても「我々はユダヤ人だ」と考えている

●アメリカは反ユダヤ主義が強い・・ユダヤ人難民を追い返す・・セントルイス号の悲劇1939年

●1週間はユダヤ人が作った。ユダヤ教では金曜日から土曜日にかけた24時間が安息日、キリスト教はこれを日曜日にかえた。対ユダヤ教

●キリスト教はハイブリッド、ユダヤ教は純然たる一神教。イスラム教はユダヤ教の宗教改革

●人類の歴史の中で教育水準が高い民族は、ユダヤ民族と日本人・・ユダヤ人は全世界に散った。

 

 

■信仰から見えるロシアの大地と国民性

●ロシア人にとってロシアの大地が唯一の世界・・ロシア自体に対する信仰心・・ロシア正教

●ユダヤ教からキリスト教が生まれ・・ユダヤ教・キリスト教からイスラム教が生まれた。

●ユダヤ教徒イスラム教は完全な一神教・・キリスト教は多神教・・像が多々ある・・お寺も

●ロシア・・縄文時代の国・・地中からの天然ガス・石油・金・ダイアモンドを採取で経済を回す。

●ウオッカとロケットだけの国

●ロシア人は中国人に似ている・・異論もある。

国境の概念がない・・力しか信じない・・ロシアはもともと9世紀にキエフという公国がら大きくなった・・だから国境の概念がない。・・緩衝地帯を重要視する・・独自の安全保障観・

●異論・・ロシア人は集団主義的・・中国人は個人主義的・・合わない

●自分の国が大国としていなければならない・・ロシア人と中国人

●北方領土はロシアの安全保障の問題

 

 

■イスラム教徒と反グローバリズムの潮流

●サウジは働くという概念がない

●1918年第一次大戦が終わるまでオスマン帝国(トルコ)がリビア・エジプト・スーダン・サウジ・アラビア半島・ヨルダン・シリア・イラクまで支配していた。・・第一次大戦で敗戦国御ヨーロッパに奪われた。

●イスラム、イスラエル双方と商売をする巧みなアメリカ。

●サウジと中国は似ている・・1200人の王族が支配・・習近平一族300ファミリーが支配。先進国が育てた・・右肩上がりの国

●二つの国の人権問題にアメリカは追及しない・・商売の為

●変わらない日本のエネルギーの中東依存

●グローバリズムとは、「全世界をアメリカの支配下に置く」という意味

●明治維新150年 実現の三つの理由。

日本の政治的な独立・経済的な独立・文化的な独立・・・一番大切なものは文化的独立

日本文化の強さを再認識すること。・・世界の中で一番の「心の国」

 

 

■明治維新150年の岐路に立つ日本

●明治維新は「御一新」・・日本の【独立を守るため仕方なくやった・・復古

天皇を国民が支えるよいう体制の「復古」を目指したのが明治維新

●失われた日本の伝統を取り戻す

●日本は海の文化・・外からの受け入れる、 中国は陸の文化・・自分たちは世界の中心の考え

●太古から文明を積み重ねてきたからこそ急激に欧米化しても日本は発展することができた。

日本だけが有色人種で植民地化されなかった理由

●「八紘一宇」の世界に移った。

●日本はあらゆるものを取り入れて融合する力を持っている。

●十七条の憲法・・「和を以って貴しと為す」・・天皇も含めて「すべてが平等」という考え。

人間も動物も植物も全部横並びで、自然の一つにすぎないという意味

●元々神道も、全部神様は横並び・・神様・・権威はあっても権力ない

●「混迷の時は原点に戻る」が鉄則・・造り変える力

●八百万の神々

●人間には、理性と感性、両方が必要・・第二に明治維新・・武の心・・匠の国

●取り戻すべき日本独自の教育システム・・学校制度の変革・・心 文化的伝統

 

 

■日本の国体と天皇のあるべき姿

●お祀り・・祭祀・・天皇の天皇たるゆえん

四方拝・新嘗祭・言霊・祈り(祈る家)2600年間ずっと新しい国・遷宮

●国体・・日本の本質・・中心は天皇・・日本の権威・・権力は内閣総理大臣

二権分立で2600年

●西洋人の新大陸発見は・・文化を破壊・・イギリスの清教徒・・神が害獣を滅ぼす

●日本の和の精神が世界を作る・・感性に世界・・日本らしい国家・・ジャパンファースト

 

外交評論家 加瀬 英明氏 
外交評論家 加瀬 英明氏 

 

加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日- 2022年11月15日)は、日本の外交評論家。自由社社長。日本会議代表委員、日本教育再生機構代表委員などを務め、右派・保守の論者として知られた。父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはオノ・ヨーコがいる。慶應義塾大学経済学部卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ国際大百科事典の初代編集長を務める。青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育ったことなどがきっかけで、評論・執筆活動を行うようになる。政財界でも活動し、福田赳夫内閣・中曽根康弘内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸内閣の外相特別顧問などを歴任した。

 

ノンフィクション作家 馬渕 睦夫氏 
ノンフィクション作家 馬渕 睦夫氏 

 

馬渕 睦夫(まぶち むつお、1946年〈昭和21年〉1月21日 - )は、日本のノンフィクション作家、元外交官。在英国日本国大使館、在インド日本国大使館、在ソビエト連邦日本国大使館、在ニューヨーク日本国総領事館に勤務し、EC代表部参事官(1989年-1991年)、在イスラエル日本大使館公使(1991年-1995年)、在タイ日本大使館特命全権公使(1997年-2000年)を務めた。2000年(平成13年)に特命全権大使キューバ国駐箚に就任。2003年(平成15年)5月には財団法人国際開発高等教育機構専務理事に就任し、2005年(平成17年)より駐ウクライナ兼モルドバ大使を3年間務め、2008年(平成20年)11月、外務省退官。同月防衛大学校教授に就任し、2011年(平成23年)3月、定年退職。2012年(平成24年)2月、著書『いま本当に伝えたい感動的な「日本」の力』で作家デビュー。以降、日本文化チャンネル桜などの政治系テレビ番組(主に外交・国際政治関連)にコメンテーター・論客として出演し始める。京都府船井郡八木町日置出身。京都大学法学部3年次在学中に外務公務員採用上級試験に合格し中退、1968年(昭和43年)に外務省入省。イギリスのケンブリッジ大学経済学部に入学し、1971年に卒業。

 

 

 

■ 原発と日本の核武装 武田邦彦著

 

「原発と日本の核武装」 武田邦彦著

2021/12月 19/02/22読了

 

■原発の本当の恐ろしさ

■専門家の誰もが見誤った原発の安全性

■不誠実な被爆限度のウソ

■非難する住民を欺いた「風向き」の隠蔽

■日本のマスコミが死んだ日・・映像データの隠蔽

■「直ちに健康に被害はない」と報じて福島から逃げたマスコミ

■隠し続けている原発事故による環境被害

■日本社会の誠実さを破壊した「直ちに健康に影響はない」発言・当時の政権

■すでに実質的に核武装している日本

原子力事業のタブーを明かす・・。なかなか難しい内容ですが、

今後は安全な小型モジュール原発が出てきそうですね。

 

「原発と日本の核武装」 武田邦彦著
「原発と日本の核武装」 武田邦彦著

 

 

原発と日本の核武装 武田邦彦 要約

原子力事業のタブーを明かす 2016年9月25日  第1刷発行

 

 

1章・・原発事故、そのとき何が起こっていたのか

 

◎実は新幹線よりも耐震性が弱い日本の原発

 

●秘密主義、事なかれ主義が事故を招いた

●原子力安全神話はまさしく「神話」であった

●これまで繰り返された「自己制御」、「多重防御」というウソ

●権限がない菅首相によるベント指令が招いた事故・・1号機

●メルトダウンの事実を誰が隠蔽したのか

 

 

■目前に迫っていた日本列島の最大の危機

●日本の半分に人が住めなくなる事態・・メルトダウンが日本を救った

●1号機、3号機の爆発、2号機が爆発したら東日本に人が住めなくなる

 

 

◎原発の本当の恐ろしさ

 

●日本人全員を16回以上殺害できる量の放射性物質が放出された・・100京ベクトル、1、2号機。

水素爆発で漏れた放射能物質は上空に上がった煙に含まれていた・太平洋へ行った

●2号機が爆発すると約2ガイベクトル

●震度6強、15mの津波で、東日本に人が住めなくなる危機だった。

 

 

2章・・原発を再開したい人たちの本当の理由

 

◎核武装が必要と思っている人たち

 

●日本はすでに原発からどれだけの原爆用プルトニウムを保有しているか

原爆5発分のプルトウム、固体燃料ロケットの技術、優れた制御技術、・・実質的には核保有国

●一般国民が知らない日本の核武装能力

●3号機でプルトニウム燃料・・爆発の映像を流さなかった・・隠した。拡散が世界に分かるから。

●爆発で広島原爆の約200倍。チェルノブイリでソ連は翌日に1000台のバスで避難させた・・

民主党政権はそんな判断もせず、「直ちに健康に影響はない」で言い逃れた。

 

 

◎原発反対派に恨みがある人たち

 

●賛成と反対・・一度もまともな議論をしない

●感情と仲間意識が論理的議論を妨げる

 

 

◎職業的、利権的に必要と思っている人たち

 

●補助金、お金、政治的立地、地元、企業、既得権益、・・100万人お人が関係している・・年間5兆円

 

 

◎原発が本当に安全で必要だと思っている人たち

 

●いまだにある原発は安全で経済的だという錯覚

政府、専門家、マスコミからの情報を「正しい」と思っていれう一般の日本人。

●政府、専門家、マスコミは、原発事故の事実を隠してきた。著作権を理由に爆発映像を公開しなかった。

マスコミが自主規制したようだ。原発は浸水によって爆発した。民間のビルより建屋がもろかった。

●被爆健康への影響について、ウソが報道された。

●100京ベクトルで、広島原爆の約200発分。

●原発は経済的はうそ。石炭火力10円、原発12円。核廃棄物の貯蔵は決まっていない・

事故の補償がない。安全、コストのトリック。

●問題は政府や電力の専門家・・第一の責任はマスコミ。特にNHK。

 

 

3章・・原発に反対する人たちの本当の理由

 

◎政治思想的に反対する人たち

 

●賛成派と反対派の議論が空転する理由・・賛成派が理論、反対派が感情・・かみ合わない

●セット・・再軍備賛成=原発賛成、再軍備反対=原発反対。・・議論が空転する

●共産主義の人の反原発という矛盾・・

●共産主義者のうそ・・絶対王政だが、人民民主主義。暴力革命だが、平和を守る。

●共産主義の【民主主義」とか「平和主義」は実態とかけ離れている

●共産主義は『絶対王政」「戦争主義」である

 

 

◎環境的思想に基づいて反対する人たち

 

●被爆と健康への影響に関するデータは不足している

●科学的な考え方・・地球の放射性物質・・紫外線・放射線と「進化」オゾン層、・・現在の地表の放射線量が最適ということ。

●肌の色・・南の人黒く・・北の人白人。4000年前、アーリア人の移動、東にインド人、西にイギリス人

●日本では、1年1ミリシーベルト。植物から1年0.5シーベルト被爆。

●国際的には「人工的に加算される放射量の上限を1年1ミリシーベルト」合計で2.5シーベルト。

さらに日本では、医療被曝が1年2.2ミリシーベルト、合計で4.7シーベルトになる。

●原発従業員・・白血病・・1年5ミリシーベルト以上が労災

●原発従業員の法令被爆限度は1年20ミリシーベルト

●福島原発事故の直後「福島県の児童の被爆限度は1年20ミリ」とされた。???

●とりあえず原発は止めておいたほうが良いと考える理由

化学的根拠、危険がはっきりしない。安全がはっきりしない。

 

 

◎意見の相違を認めない歪んだ仲間意識

 

●民主主義とは意見の異なる人を認めること

●グループが前提で議論が不十分・・質問や反論を躊躇・・仲間はずれ

 

 

4章・・技術的、経済的に見た原発の真の必要性

 

◎1万人の専門家の誰もが見誤った原発の安全性

 

●原発は有事には自動停止するから安全という錯覚

●安全は実績主義なので、福島原発で爆発事故が起こったので「原発は安全ではない」という認識から始める必要がある。固有安全性、チェルノブイリ=黒煙減速炉、日本は「軽水炉」・・軽水炉の固有安全性

●爆発を防ぐ意味での「原子炉は止めることができない」。・・マスコミ誘導。

原子炉が止まったは、熱は10分の1になるが熱が膨大なので1日ぐらいでメルトダウンし、水素が発生し、温度2700°cまで上がり爆発する。

●津波対策ができれば再開できるはトリック

冷却できなくなったから爆発・・原子炉が止まっても熱はどんどん出る・・冷却・・水素出る

●冷却水は地震、津波、大雨、洪水、テロに対して万全か? 電源、ポンプの故障、配管、

●非常時に原発を爆発から守るには、①核反応を止める非常停止が成功すること、②冷却が続いていること、が必要条件。津波を防げば冷却装置が動くことにはならない。

●「原子炉が停止するから安心」「津波対策ができれば再開できる」はトリック。「固有安全性」という間違いと「多重防御」という嘘が入っている。

 

 

◎石油などの資源がなくなるから原発は必要なのか

 

●化石資源も原子力資源もまだ数万年分ある。

●NHKなどマスコミが流したうそ・・テレビのうそ。化石燃料ー死骸燃料・・石油・石炭・天然ガス

数万年から数百万年ぐらいはある。

●エネルギー資源は枯渇するは間違い

 

 

◎経済的に見て原発は本当に有利か

 

●純粋にコストだけ見れば化石燃料がもっともお金がかからない

●エネルギー源=石炭、天然ガス、水力、石油を使った火力発電・水力発電、が85%、原子力で10%、その他で5%。火力発電のコストが石炭と天然ガスが安い・・半々。発電コストは石炭安い。

●水力発電は自然を破壊

●風力発電、太陽光発電も多くなると自然に影響与える

●電力製造コスト=設備費と燃料費、その他、人件費、税金、】金利、

●火力発電は設備が簡単で燃料費がかかる。原子力発電は設備が高価でウランが安い。どちらもコストキロワットあたり12円。火力は設備費2:燃料費8、原発は設備費8:燃料費2.

原子力は安全投資、地元対策、使用済み核燃料処理費、研究開発費、使用済み核燃料格納費用を計算に入れていない。

●太陽光発電は燃料費はタダだが、膨大な設備費が掛かる。設備費10:燃料費0

材料を作るのに化石燃料ばかり使う。キロワットあたり40円。膨大な石油を使う。

●太陽電池は自然エネルギーで電気が得られるは、石油がなければ電気を起こすことができない。

●地球温暖化を、発電方法を考えるときに考慮する必要はない

 

 

◎原発から安全性を奪っていた組織の問題

 

●自分の定年までは大地震が来ないだろうという考え方

●科学ではなく、官僚組織、と利権構造の力が働いた・・仲間意識・・安全神話・・日本社会は原発をやる力を失っている。建前論・・社会のうねり、官僚・東大教授の論理の欠如。

 

 

第5章 事故で明らかになった政府、マスコミ、専門家の無責任体質

 

◎あまりに不誠実な被爆限度のウソ

 

●法令よりも外国のどこかの任意団体の意見が重視される異常さ

●爆発直後のNHKでは、被爆限度1年1ミリシーベルト

事故数日で、政府、専門家、マスコミ、全て、

「一般人の被爆限度などない」「放射線は安全だ」「世界に線量率の高い場所がある」「1年1ミリシーベルトなどと極端なことを言うな」などで一致。「被爆限度は定められていない」??施設の設計ができない。

●国際組織任意団体ICRPの1年20ミリシーベルトに飛びつく。福島の汚染から見ると都合が良かった。

●これまでの意見を180度変えた朝日新聞の無節操・・「被爆はそれほど危険ではない」は驚き

●事件は起きると直ちに「感情的になり」「皆と同じことを言う」という日本人の弱みに付け込んだ情報操作。・・情報サギ社に近い。良心的で社会的な存在の集団がやることではない。朝日新聞のウソ。

●NHKと朝日新聞という日本を代表する巨大組織がウソを報道したり報道すべきことを避けたりしたことは日本におおきな損害を与えた。

●日本の原発行政はダメ・・事故・通報・救助消防・食品汚染・等全て決まっていなかった。

●民主党政権・・「直ちに健康に影響がない」・・被爆量の低減対策を取らなかった・・野蛮国家。

 

 

◎非難する住民を欺いた「風向き」の隠蔽

 

●もっとも必要な時に風向きの発表をしなかったNHKや気象学会の裏切り

1.事故を起こした原子炉の近くから強い放射線がでる

2.事故を起こした原子炉から放射性物質が空気中に飛散し、風に乗って流れる・・死の灰200キロ以上

●東大教授はタダ遠くに逃げればいい・・距離の2乗に反比例し減衰するの論理・・被爆した。

●放射線防護服は間違った用語。・・放射線は防護しないがチリが付くことを防ぐ服。マスコミの間違い。

●事故の国は、国際機関IAEAに風向きを報告することになっている。ニュースで風向きを伝える義務がある。・・NHKは「福島の風向計が故障した」という理由で2週間風向きを報道しなかった。

●気象庁が国際機関に報告しているので、おかしい。

●気象学会の東大教授が「気象庁に所属する人が福島の風向きを言ううのは禁止する」のお達し。

戦時中かナチスと同じ指令。

 

◎日本のマスコミが死んだ瞬間

 

 ●自分たちだけが逃げたマスコミ

●事故の後マスコミの人達が福島から逃げたこと。「危険ではない、直ちに健康に被害はないと」報道して。

●「著作権」の問題を持ち出し、多くのデータを隠蔽したこと

●表現の自由という特権を振りかざし、国民の知る権利を軽視するマスコミ

「著作権」を理由に多くの映像や記事の配信がとまった。

 

 

◎隠し続けている原発事故による環境被害

 

●汚染がひどいので、変えられた安全基準

被爆から守る法令がない・・あっても非現実的な数値である・・汚染限度も定められていない。

基準を現実的なものに変えるのが適当だ。

瓦礫、1キロ100ベルト以下が規定・・環境庁が1キロ8000ベクトルに変えた

●なぜ汚染水がいまだに出るのか、なぜ原因が報道されないのか。

環境の汚染・・直ちに健康に影響がないで福島沖に流された・・規制値の数千倍

●地下水が割れ目から流れ込み原発の地下に入り汚染荒れて外に出る・・安全基準の変更必要

●NHK、マスコミ・・大事なものは報道されない

●裁判所・・政府、東電の権威について罪を問わない。自治体の「うそ。

 

 

第6章 福島に帰ることができるのか

 

◎被爆と健康の本当の関係性

 

●人体への影響がはっきりしないものを、どのように規制すべきか  異常心理学

 

◎法令を忘れた人たち

 

◎1年1ミリシーベルトとはどれくらいの危険度なのか

 

●事故から5年経過・・人が住めるかどうかは、事故の前の安全基準で決めるべき

●基準では、10万人当たり、発がんが5名、重篤な遺伝性疾患が1.3名の6.3名まではよい。

人口で言えば、犠牲者は8000名。福島で言えば100名が犠牲。発癌性に問題

アメリカトモダチ作戦の不調、

 

 

◎陸の汚染の実態

 

●放射線は30年で半分、100年で10分の1

●近海、海底の地殻の魚、貝、海藻などは30年注意が必要。

●現在の基準に合格は、旧基準値の2倍程度と承知する。食品0.5が1ミリに変わった

 

 

◎海の汚染の実態

 

●海洋生物へのストロンチウムの蓄積

●どのくらいの放射性物質が海に漏れ、滞留しているか

●放射性物質が海洋の生物にどのように蓄積しているか

●情報統制されてはっきりしていない

●できるだけ東北の魚は食べないは守るべき

 

 

◎福島に帰る日

 

●いまだに残る食材への不安

●原発事故の前の基準に適合することが条件

 

 

第7章 原発と日本の核武装の必要性

 

◎各抑止力とはいかなるものか

 

●世界の指導者が認めている「核抑止力」

 

◎すでに実質的に核武装している日本

●日本はすでに核爆弾の原料をこれだけ持っている

 

◎日本は核武装が必要か

 

●日本の軍隊の本当の強さ

 

◎核戦争は起こり得るのか

●日本が核抑止力の天から原発問題を考えるのは不適切

 

 

第8章 日本が原発事故を乗り越えるために

 

◎日本社会の誠実さを破壊した「直ちに健康に影響はない」発言

 

●言い訳ができればウソをついてもいいという考え方

●「誠実は日本」と「誰も信用できない中国」

●民主党政権・・大切な日本文化を破壊した。不誠実・誠実性を破壊。官房長官・弁護士・立憲民主党

 

 

◎日本の民主主義はどこに行ったのか

 

●非常時の訓練さえできない弱い精神力

 

 

◎いまや日本は科学技術立国ではない

 

●あきれるほど非科学的な社会・・ウソや間違いが何重にも重なっている

 

 

●終わりに

日本は不思議な国、世界で2000年も同じ国、同じ指導者、は日本だけ・・奴隷がいない

日本だけが国家の尊厳を保ち、自分たちの力だけで完全な】独立を果たした。

日本の文化を壊したのは、政府、自治体、専門家、医師、学校の先生。・・自戒して欲しい。

2016/9/25第1刷発行

工学者 武田 邦彦氏 
工学者 武田 邦彦氏 

 

武田 邦彦 (たけだ くにひこ、1943年〈昭和18年〉6月3日 - ) は、日本の工学者。元中部大学総合工学研究所特任教授。東京都出身。父は数学者で工学院大学名誉教授の武田楠雄。1966年3月に東京大学教養学部基礎科学科を卒業後、4月旭化成工業に入社。ウラン濃縮等の研究開発に携わり、1986年に論文「複合イオン交換反応系の理論と分離技術への応用」により東京大学から工学博士の学位を取得。同年ウラン濃縮研究所長に就任。自己代謝材料の開発に取り組み、所長職を1991年まで務める。1993年、芝浦工業大学工学部教授。2002年、名古屋大学大学院教授(工学研究科マテリアル理工学専攻)。2007年、中部大学大学院工学研究科総合工学研究所の教授(機械工学専攻)。2014年に中部大学総合工学研究所特任教授に就任。2021年3月、中部大学の特任教授を退任。

 

 

 

■ 人に強くなる極意 佐藤優著

 

「人に強くなる極意」 佐藤優著

2021/11月 18/12/22読了

 

近未来日本の大きな変化の中、一人一人が生き残るノウハウをまとめた本。

 

■おこらない

■びびらない

■飾らない

■侮らない

■断らない

■お金に振り回されない

■あきらめない

■先送りしない

 

なかなか参考になった本です。

 

作家、外交官 佐藤 優氏 
作家、外交官 佐藤 優氏 

 

佐藤 優(さとう まさる、1960年〈昭和35年〉1月18日 - )は、日本の作家、元外交官。同志社大学神学部客員教授、静岡文化芸術大学招聘客員教授。学位は神学修士(同志社大学・1985年)。在ロシア日本国大使館三等書記官、外務省国際情報局分析第一課主任分析官、外務省大臣官房総務課課長補佐を歴任。その経験を生かして、インテリジェンスや国際関係、世界史、宗教などについて著作活動を行なっている。東京都渋谷区生まれ。1975年、埼玉県立浦和高等学校入学。高校時代は夏に中欧・東欧(ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、ポーランド)とソ連(現在のロシア連邦とウクライナ、ウズベキスタン)を一人旅する。同志社大学神学部に進学。同大学大学院神学研究科博士前期課程を修了し、神学修士号を取得した。1985年4月にノンキャリアの専門職員として外務省に入省。5月に欧亜局(2001年1月に欧州局とアジア大洋州局へ分割・改組)ソビエト連邦課に配属された。1987年8月末にモスクワ国立大学言語学部にロシア語を学ぶため留学した。1988年から1995年まで、ソビエト連邦の崩壊を挟んで在ソ連・在ロシア日本国大使館に勤務し、1991年の8月クーデターの際、ミハイル・ゴルバチョフ大統領の生存情報について独自の人脈を駆使し、東京の外務本省に連絡する。アメリカ合衆国よりも情報が早く、当時のアメリカ合衆国大統領であるジョージ・H・W・ブッシュに「アメイジング!」と言わしめた。佐藤のロシア人脈は政財界から文化芸術界、マフィアにまで及び、その情報収集能力はアメリカの中央情報局(CIA)からも一目置かれていた。日本帰任後の1998年には、国際情報局分析第一課主任分析官となる。外務省勤務のかたわら、モスクワ大学哲学部に新設された宗教史宗教哲学科の客員講師(弁証法神学)や東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務めた。

 

「人に強くなる極意」 佐藤優著
「人に強くなる極意」 佐藤優著

 

 

 

■ 古稀のリアル 勢古浩爾著

 

「古稀のリアル」  勢古浩爾著

2021/10月 18/09/06読了

 

何歳になろうと、あるのは、人それぞれの一日一日の生活だけである。

 

私にとって今日という日は、「老後」の一日でも、「じじい」の一日でもなく、

あくまでも「わたし」の一日である。

 

「古稀のリアル」 勢古浩爾著
「古稀のリアル」 勢古浩爾著

 

 

古希のリアル  勢古浩爾 要約

古希:(数え歳70歳 古稀)

 

 

■古来希だが、いまはふつう

●高木護という希有な人・・詩人、分筆家、詩集、エッセイ、異色。

●そして70歳になった日に、「おぬし、きょうから爺さんだよ」自分で、わたしにいってやった。”おめでとう””ありがたいではないか”ともいってやった。こんなわたしでも、人並みに爺さんになれたのか。”よかったな”とほっとしただけでなく、うれしかったのだ。

●「朝三時に起きてから、七時間なにもしていない。「何もしなかったのは、時間にはもうしわけないけれど、気持ちのよいものである。爺さんになってまで、しゃしゃり出てばたばたしていたら、なんで御爺さんになったのかわからなくなってくる」

●人には、する自由もあれば、しない自由もある。

●私の「ゆっくり」や「のんびり」はけっして「努め」ではない。ただ好きなだけである。

 

 

■もう「老後」がやかましい

●2017年統計、65歳以上は3500万人。総人口の28%。・老人問題、少子高齢化。

●健康は、運動と節制。認知症はどうにもならない。

●そんな取り越し苦労をするより、山歩きや俳句や草花や音楽や観劇が好きな人なら、「自分にあったこと」をして「楽しむことである」。

●シルバー世代統計・・1か月の小遣いは平均2万6820円。

●「健康」が「老後」の最大の目的・・健康呪縛。

●「食べたいものを適度に食べる」、「気楽に生きる」が優先である。

●人生100年より、平和100年・・国は実効的なビジョンを示すべきである。

 

 

■楽しまなきゃ損かね

●「外」ばかり見ている・・「外」の数が多いほど、自分の生活が「豊か」で「充実」していると思う。・・自分という中身が重要。・・『自分をもっている人』

●自分を持っている人は、たとえば俳句や短歌の実作をする。絵を描く。スポーツをし、楽器を弾く。研究をする。人まかせでない手作りの旅をする。世間の考えを自分で一度は考えなおす。好き嫌いでだけで判断せず、公正や美で判断する。・・人はこうだが、自分はこれでいい、ときめられるようになる。

●60歳を過ぎてから、95%の「外」はもう私には騒々しく、うっとおしすぎるのである。

●後悔するのがあたりまえ。

●決断とは・・そのことにたいする意欲と、可能性と、意味と、覚悟を熟慮すること。

●個人の自由こそ至宝。

 

 

■死んだらあきらめるのです

●80歳まで生きるとすると、70歳という歳は既に人生の85%を生きたことを意味する。あと残された時間は15%の十年である。

●死んだと気づかないうちに死んでしまうのが理想。死なない時は死なない。死ぬときは死ぬ。

●医師・近藤誠・・健康寿命が短いのは降圧剤による低血圧。・・ボケに作用、

●俳優入川保則の、命なりけり

なんの未練もあるわけじゃない。もう充分に生きた。抗がん剤はもちろん、あらゆる延命処置はご遠慮いたします。葬式手配をした。参列者はごく近親。坊さんは呼ばない。あとは自分の挨拶をテープでながしてもらう。だれもいないのが一番嬉しい。

 

 

■自分を育ててくれたことの奇跡

●ただ親と子というだけで

●風間トオルの祖父母

●人に好かれるのはあたりまえではない・・奇跡

●父親が子供にすかれるなどあたりまの事ではない。・・依存心が強い

●親しくしてもらった人・・親族を除くと15人。

 

 

■昨日の雨、今日の青空、明日は知らぬ

 

 

■ふらり、ふらりの自由

 

●好きなことがあるのは、とりあえず「しあわせ」なことである。

●毎日夢中な人生!

●他人を尊重して敬意をもって接する

 

 

■老後の余生の一日ではなく、「自分」の一日。

 

評論家、エッセイスト 勢古 浩爾氏 
評論家、エッセイスト 勢古 浩爾氏 

 

勢古 浩爾(せこ こうじ、1947年 - )は、日本の評論家、エッセイスト。大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒、明治大学大学院政治学修士課程修了。橋川文三に師事。大学院修了後、洋書輸入会社に勤務。「石原吉郎論」で開高健賞候補。その後文筆活動に入り、『まれに見るバカ』がベストセラーとなる。2006年退社し文筆に専念。新書による人生論が多かったが、2009年本格評論『大和よ武蔵よ』を刊行。

 

 

 

■ アメリカ・ザ・ゲンバ 青山繫晴著

 

「アメリカ・ザ・ゲンバ」 青山繫晴著

2021/9月 18/06/13読了

 

2016年のアメリカ大統領選挙は、アメリカの解体とアメリカが築いてきた戦後世界の崩壊を意味している。

それは2001年の9・11同時多発テロ、2003年のイラク戦争開戦から始まる崩壊の過程がいったんここで完成したことを意味する。

 

アメリカが傲慢なのか、日本が無知なのか?

 

くしくも2021年8月31日にアフガニスタン米軍撤収で、20年にわたるアフガン戦争が終結しました。

バイデンになりアメリカの解体はさらに進んだということか?

 

2003年に書かれた「世界政府アメリカの嘘と正義」の加筆再版されたもの。

アメリカの本質を紐解いていますが、色々考えさせられる本でした。

 

「アメリカ・ザ・ゲンバ」 青山繫晴著
「アメリカ・ザ・ゲンバ」 青山繫晴著

 

 

アメリカ・ザ・ゲンバ 2016年11月 青山繁晴 要約

世界政府アメリカの「嘘」と「正義」 2003年3月

 

■序

 

●2016年のアメリカ大統領選挙は、アメリカの解体とアメリカが築いてきた戦後世界の崩壊を意味している。それは2001年の9・11同時多発テロ、2003年のイラク戦争開戦から始まる崩壊の過程がいったんここで完成したことを意味する。

 

 

■アメリカって何だろう?

●アメリカCNNテレビのアンケート・・世界でもっとも脅威を感じる国は?・・アメリカが第一位。

●16歳の疑問・・なんでアメリカって、こんなに身勝手なの? アメリカの本質は?

●独研・・安全保障・エネルギー安全保障担当・

 

 

■アメリカン・スタンダードの正体

●アメリカは、現実的な、世界政府になろうとしてきた。・・暴力とカネを握る・・安全保障と経済

政治と経済はそのあとからついてくる。・・事実・・世界の人々のためだ。

自由と民主主義、開かれた経済と社会を広めるためだ・・これがアメリカン・スタンダードだ

 

●白人優先、アフリカ系アメリカ人と黄色人種が、不当に差別されることが当たり前である

●冷戦が終わってから、儲からないとわかると、絶対にやらない国になった

この国には、常識もモラルも約束も存在しない

●平気で約束を破るふつうのアメリカ人

 

 

■なぜアメリカはブッシュを選んだのか?

●アメリカを世界で一番嫌っている国は、カナダ・・アメリカの属国・・安全保障

●本当の勝者ゴア・・偽の勝者・・リスクを独りで引き受ける男だからとみたこと

アメリカのリーダーは世界中のリスクを一人で被る・・国民の直観力

 

●建国2663年の日本は責任を分散する癖が、国と社会に染みついている・・天皇がいるから責任を取らない・・権限と責任がセットではない

 

●建国227年のアメリカは、一切の責任は大統領にある・・リーダーに求めるものが違う

●アメリカの身勝手も公正さも、闇も光も、しっかり見分けられる視力を持てば日本は再生する

 

 

■民の値打ちを知ろう

●アメリカにあって日本にないもの・・

アメリカはなんでも手作り・・そこから民主主義が始まる・・リーダーは決断力・・自分て選ぶ

日本は制度や慣習が、気が付いたら出来上がっていた・・政策に暗い・・官僚に頼る・・自民党大会

●アメリカは「官」と「民」の関係を実行・・

●イギリスは本当にアメリカの飼い犬か?・・違う

●古い国・王室・議員内閣制・島国・人口は、アメリカの半分が日本、その半分がイギリス

ワンコンセプトリーダーで政策通・・サッチャー・・リアルな国際関係で存在が高まっている

 

 

■日本が誤解しているアメリカの「公正さ」

●情報・通信・運輸のテクノロジーの進化・・市場も生活も一つに統合されていく

世界が、地球が勝手に一つになり始めた・・地球領土を統治する強力な存在を求め始めた

アメリカは一旦はぴたりとははまったが・・暴力的軍事国家だから・・世界の庶民にとっては不幸

 

●アメリカの至上主義がテロを生む・・カネを払ったから当然の考え

●アメリカは世界政府となり軍事力で世界の民を威圧しつつ、それでも手作りの民主主義はまもる

●アメリカ人が尊敬する真の「公正さ」とは?  フェアネス・・本音で言えば

相手が公正なら、自分も公正。相手が公正でなければ先制攻撃で殺してもOKという価値観

アメリカ社会の伝統的なコンセプトである・・スタンダード・・公正なのはアメリカ

 

●イギリス人は本音を言わない2年・・ドイル人は組織的に検討し通告してから本音・・

フランス人は本音をまず言わない

●アメリカ人は日本の経済活動を全くフェアだと思っていない・・勝手にルールを変更してもOKだと

それがアメリカの公正さ(フェアネス)だと理解しないと始まらない。

 

 

■アメリカが傲慢なのか、日本が無知なのか?

●戦争に負けたからではなく、日米安保条約によってアメリカ軍は日本に駐留し、日本の安全を

守っている・・1991年の湾岸戦争まで・・三沢基地からイラクを爆撃している・・変質している

●日本の戦闘機F15はJ仕様で北朝鮮の基地はたたけない・・専守防衛を変えたのは評価

●安全保障条約・・領土の一部を米軍胃自由に使わせ・・基地の光熱費や従業員の給料を負担

敗戦と連合軍の占領は1952年発行のサンフランシスコ講和条約で終わっている

日本の安全保障や、北東アジアの平和の安定のため米軍は駐留することを日米安保条約で取り決めた

 

●アメリカは全く隠していない・・フェアに公開している・・日本人が知ろうとしていないだけだ

●安全保障は他人任せ・税金の使い道はお上任せ・・日本国民の自画像

●安保条約の変質で、日本はすでに戦争に実質的に参加している。・・日本が無知

 

 

■イラク攻撃のブッシュの嘘と本音

●イラクをやればテロリストが喜ぶ・・ブッシュが傲慢

●イラクにはオイルがあり、北朝鮮にはオイルがない。

イラクには味方がなく、北朝鮮には味方がある・・中国・・だからイランを攻撃・・本音

●石油がフセインの戦略物資になっていることを変えたい・・フセインを排除するとイランが喜ぶ

 

 

■アメリカが警戒する日本の「新中国派」

●中国は北朝鮮の味方・・地政学的に「緩衝地帯」を置いて安心したい・・匈奴への恐れ

 

●中国に「日本の軍国主義復活」を言われる筋合いはない・・中国は、核武装し、弾道ミサイルを日本に向けている。日本は核を持たないし、弾道みさいるも持っていない。

●中国4000年の歴史は嘘・・途中でモンゴル人に征服され、元という中国名だけど、権力は中国ではない・・フェアにみるべき。

●韓国の本音は遠いアメリカより、頭上の中国に寄り添いたい

 

●中国がこれから軍事力、国力を伸ばすと、日本にも新しい「新中国・非アメリカ派」が登場する・・注意する必要がある。・・アメリカの属国から、中国の属国になろうという一派

 

●中国派思想の自由、言論の自由がない、共産党独裁の国である・・人間の根本的自由の問題を注視

●日本は日本オリジナルの民主主義を護り通して、日本の価値を護る必要がある・・自分で考える国

 

 

■なぜドイルとフランスが「反戦」なのか?

●戦争に反対するドイツ政府の笑えない実態

●旧東ドイツ市民は生活苦、旧西ドイツも吸収コストをかぶって失業率に苦戦

●アメリカ反対、戦争反対、が元気のもと。戦後初めてアメリカに盾ついて新しい出発点・・

●ドイツの戦争反対派動機が不純・・役所内スパイ戦争、・・シュレイダー首相の選挙戦術

 

●アメリカは東ドイツを崩壊させ、統一のコストを全部西ドイツに押し付けた・

●反戦が権力維持のツール

●アメリカはドイツに厳しく、フランスに甘い・・EUはフランス・ドイツの両輪で動く

●アメリカ人は実用主義・プラグマティズムで出来上がっている・・何とも怖いあの感じ

 

 

■本当は恐ろしいアメリカの「誇り」

●映画パールハーバーに描かれた、アメリカの嘘と偏見・・嘘・・悪意のこもった嘘・卑劣な

 

●本質は人種差別です。白人優越主義・・日本人をあくまで卑怯な奴らと見せかけたい

 

●テロの跡地を「グランドゼロ」と呼ぶ普通じゃない神経

●グラウンドゼロとは、広島・長崎の爆心地の事である

 

●原爆投下は国際法からしても永遠に許されないアメリカの国家犯罪、国家テロリズムである

●東京大空襲で裳10万人・・非戦闘員の虐殺

●戦争を終わらせる平和のための原爆だったら一発で良い・タイプを変えての二発目投下はアジア人にたいしてだからやれた「人体実験」である証拠。

 

●常に我々が正義、の陽気なアメリカ人

●イラク戦争で小型戦術核を検討・・B61・11核爆弾・・アメリカのテロ線画テロを広げる

●大陸間弾道弾ICBMや、巡行ミサイル

 

 

■アメリカの闇とアメリカの光り

●サウジアラービア・・アメリカ軍に頼って特権生活王家・・裏でイスラム原理主義テロリストに資金

●スウエーデン政府高官・・イラクで鳴くサウジアラービアを爆撃すべき・・アメリカ軍基地を置かない

諜報活動重視・・平和国家だが

●アメリカの輝きとは・・安全保障のシンクタンク4万人・・日本は一人

国防省が管理・・実質は民間・・・官と民の関わりが、他の国と根こそぎ違う

 

●アメリカのICBMこそが本物の「大量破壊兵器」

●大量破壊兵器をもっている国・・アメリカ・フランス・イギリス・ロシア・中国・インド・パキスタン・イスラエル・・アメリカは敵のいうアドバイスに耳を貸さない・・アメリカを変えれば世界が変わる

 

 

■それからの章

●アメリカが壊れているのは明白・・2016の大統領選・・リーダーもシンボルも全て大統領

●アメリカの人々は自分の頭で考える習慣・・自由な発想や個性を、同調圧力で壊さない

私と公が同調・両立する社会・・官と民も自由に入れ替わる・・大統領

●日本社会は、同調圧力が強く、自分の可能性を封じ込める社会・・官が民を常に圧迫する

●アメリカの戦況は工事も告示もない・・自由・・情報が多い

●日本は公示・告示がある・・世界では異常。・・公営で行う・・情報少ない・・お上が束ねる

 

●アメリカの衰弱の原因は・・戦争の変質

●国の交戦権を否定する主権国家はあり得ない憲法

国が民を護るすべを第九条で否定し、国家の最低限の義務である国民の保護と領土領海領空の防衛をするのかの代案が条文に無い。付録の「諸国民の公正と信義」でひたすらお願いして守ってもらう憲法

●九条は、武力行使・武力の威嚇・陸海空軍保持・その他戦力の保持、そして国の交戦権まで全否定

国際法が定め、認めている、「主権国家がその国民を護る手段」を全否定

日本にはできないので諸国民のお願いする・諸国民とは誰?・・真実は諸国民とはアメリカ国民

 

●アメリカ国民が支えるアメリカ軍に日本国民を守ってもらうのが、日本国憲法である

この仕組みは、日本が戦争に負けて、アメリカが戦争に勝ったからだ

5年後に朝鮮戦争、ベトナム戦争・・9.11同時多発テロ・・テロ・これが変質した戦争であった

 

●軍事国家アメリカが通用しなくなる世界が現出した

●アメリカが戦争に依存する体質と、過度な軍事国家を脱する時、新新の大統領を生む

●日本が、アメリカと対等な同盟を組みなおして初めてアジアと世界の未来もある

 

 

政治家、作家 青山 繁晴氏 
政治家、作家 青山 繁晴氏 

 

青山 繁晴(あおやま しげはる、1952年〈昭和27年〉7月25日 - )は、日本の政治家、作家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、自由民主党・衆参両院の議員集団「日本の尊厳と国益を護る会」(護る会)代表、参議院・経済産業委員会理事、参議院・政府開発援助(ODA)沖縄北方特別委員会理事、自由民主党・経済産業部会部会長代理、近畿大学経済学部客員教授、東京大学学生有志ゼミ講師。元独立総合研究所代表取締役社長・兼・首席研究員(安全保障および国家政策など)、元三菱総合研究所専門研究員、元共同通信社記者(事件記者、経済記者、政治記者)、東京大学教養学部元非常勤講師。妻は水産学研究者・水産学博士、東京海洋大学特任准教授、独立総合研究所社長の青山千春、長男は同研究所前社長の青山大樹。1952年7月25日、兵庫県神戸市長田区生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業。父親の青山濱二は明治維新後に創業した青山織物株式会社社長。

 

 

 

■ いろいろあった人へ 伊集院静著

 

「いろいろあった人へ」 伊集院静著

2021/8月 18/10/03読了

 

伊集院静著、大人の流儀ベストセレクション「いろいろあった人へ」を読みました。

 

大人の流儀は全部読んでいますが、伊集院節は相変わらずです。

 

ま~、いろいろあった人も、全然なかった人も、それがそれで、人生ということですね・・。

 

作家、作詞家 伊集院 静氏 
作家、作詞家 伊集院 静氏 

 

伊集院 静(いじゅういん しずか、1950年〈昭和25年〉2月9日 - 2023年(令和5年)11月24日)は、日本の作家、作詞家。伊集院静は作家としてのペンネームである。作詞家としての筆名は伊達 歩(だて あゆみ)。1950年生まれ、山口県防府市出身の在日韓国人2世である。出生当時の氏名は「趙 忠來」(チョ・チュンレ、ハングル表記では조충래)であったが、日本に帰化した際、西山 忠来(にしやま ただき)に変えた。山口県立防府高等学校、立教大学文学部日本文学科卒業。

 

「いろいろあった人へ」 伊集院静著
「いろいろあった人へ」 伊集院静著

 

 

 

■ 一度も植民地になったことがない日本 デュラン・れい子著

 

「一度も植民地になったことがない日本」  デュラン・れい子著

2021/7月 18/06/24読了

 

コピーライタ&版画アーティスト、スウエーデン人と結婚後、スウエーデン、オランダ、ブラジルに住み、南仏プロバンス在住。

日本となにも利害関係がない、ヨーロッパの普通の人々の「日本人観・日本のイメージ」を綴ったものです。

 

ヨーロッパ人の視点がおもしろい。・・

 

文中の気に入った言葉:

『日本人のほとんどは、よい子になろうとしているように思えるのはなぜでしょう。他人がどう思うかではなく、自分がどうすべきかが大事だと思います』。

 

「一度も植民地になったことがない日本」 デュラン・れい子著
「一度も植民地になったことがない日本」 デュラン・れい子著

 

 

一度も植民地になったことがない日本  デュラン・れい子 要約 2018/06/20

 

 

■初めに

 

●日本は、アジア、アフリカで一度も植民地になったことがない稀有な国だ。

●日本となにも利害関係がない、ヨーロッパのフツーの人々の日本人観・日本のイメージです。

●日本人のほとんどは、よい子になろうとしているように思えるのはなぜでしょう。個人がヨーロッパの人々の目をどこかで気にするのと同様、政府や企業も欧米諸国を中心に、他の国を気にしすぎるようです。他人がどう思うかではなく、自分がどうすべきかが大事だと思います。

 

 

■ヨーロッパから見た日本人

 

●相変わらず「日本人はビジネスだけの国」というイメージが強い。

 

 

■日本気配りはヨーロッパでは通じない

●伝統ではなく現代日本の感性を!

●意見を言わない人はバカ!

●自分の考えを持つこと。そして心の余裕を持つこと。が大事。

●一番危険なのは「ケンカするのは大人げない」という言葉に隠れて、議論を回避してしまうこと。喧嘩以前い八方美人に徹してしまうこと。日本の政治、外交にも、よく見られるパターン。

 

 

■有名な日本語はKAMIKAZE

●KAMIKAZEは公害の代名詞。

●先進国は古い物を大切にする。

●9.11がKAMIKAZEとは!・・イスラムも日本も理解できない。

●キリスト教徒からみると、日本人もイスラム教徒も異教徒。「まったくわからない人たち」であることは今も昔も変わらない。現代の日本人がまず自覚しなければいけないこと

●9.11の後、パリは全てが半旗。日本は警視庁だけ。

●イラク戦争を支持するイギリスや日本。フランスやドイツは反対。自衛隊イラク派遣で、日本の憲法、自衛隊、靖国神社が新聞に載るようになった。

●日・独・伊はテロが好きな国が定説。・・赤軍派のテロ・・フランスにテロはない。

●自衛隊をめぐる禅問答・・日本には軍隊がある。

●日本は平和憲法だから軍隊はない・・嘘・・軍隊がないが自衛隊はある。

●ヨーロッパに日本の記事は載らない。

 

●オランダ・フランス以上に軍事費を費やしながら、日本の「軍隊組織」は憲法で認められていないというのは、ヨーロッパの人々には何が何だかわからない・・不思議の国日本。

 

●日本がイラク報復を支持するのは当然犠牲も覚悟してというのが、ヨーロッパの常識、世界の常識。

 

●ドイツと日本の共通点はファッシズムだと思っているヨーロッパの人々は多い。日本がナチに加担。

 

●戦後ドイツは40回以上憲法改正している・・日本は一度もない・・バカな

●イラク戦争に軍隊出さない・・ドイツ憲法で・・侵略戦争はしないとある。

●ヨーロッパはドイツを許さない・・恨みを忘れないヨーロッパ人。・・人間の限られた情報で他人を批判。

●日本の「水に流す」は、ヨーロッパの人達には絶対通用しない。

 

 

■日本は「世界の孤児」として生きよう

●植民地になったことがない日本・・日本、タイ、

●植民地の危機・・織田信長時代、徳川の終わり、戦後の日本列島分割占領、

●ヨーロッパ人は有色人種に対して「ある感情」をもっている人は今でも多い

●スペイン、ポルトガル・・植民地支配のため・・そのころ日本は政教分離していた。

●日本人の清潔さ。・・大文明国・・文化を誇る国・・

●黒人にも偏見を持たなかった信長。・・白人崇拝も黒人蔑視も、奴隷制度もない国

●当時の京都は大都市・・産業・流通・文化もローマ、パリ、ロンドンをしのいでいた。

●鎖国・・開国・・西洋文明・・西洋崇拝・・明治短期間に欧米に追いついた・・蓄積があった

●南蛮人・・風呂・体を清める・・掃除・整頓・通りの掃除・・この習慣は日本人だけ。

日本の神に対する考えが反映・・「八百万の神」の考え。

 

●日本の自然はヨーロッパや中東に比べてとても「やさしい」・・イスラム教もキリスト教も砂漠の厳しい自然の中から生まれた一神教。

●日本はなぜアラスカを買わなかったのか?・・不思議。

●220年の鎖国があったから日本独特の文化ができた・・日本はアジア人だという認識ができない。

●日本人の感性は中国よりもヨーロッパに近い。・・中国と日本は全然似ていない・・どうしてかの質問。

●感性として観点からみて、日本と一番近いのは、ヨーロッパの中でもフランスかもしれない。・・女性的嗜好が強い・・血も、歴史も、文化も、220年の鎖国で全部断ち切った・・世界の孤児。

●日本は、歴史や立場、を世界に人に理解してもらったら面白い国になる・・原爆被爆国

●以心伝心はヨーロッパに通用しない・・ヨーロッパ人は言葉にしないとわからないほど鈍感。

●世界で2番目に義務教育を始めた日本1886年・・1位はフランス。1881年。

●フランスのモットーは「自由・平等・友愛」

●日本のモットーは現在の憲法にはないが、7世紀の憲法「十七条の憲法」では「和」だった。

平和の「和」、調和の「和」、和やかの「和」と、多岐にわたる。

 

●憲法改正に国のモットーをいれる議論が無いのは残念。フランス・イギリス・アメリカにはある。

●ジャパンという名は、13世紀~14世紀のマルコポーロの「東方見聞録」で黄金の国ジパングから。

●サムライには藩の学校、庶民には寺子屋という学校。読み書き計算の国民の知的レベルは高かった。

●憲法に日本の国語は日本語の条文が無いのは、言葉を奪われた歴史がないから。

●英語を話せる人はエライのコンプレックスがある。・・占領時、アメリカ人は日本人に英語を話せとは言わなかった。・・ラッキーでしかない・

 

 

■ヨーロッパが敬意を払う日本

●「駅弁」は世界に誇る食文化・・お箸の文化だから成り立つ。

●フランスMANGA事情。・・劇画は21世紀の浮世絵。

●個人向け宅配便は日本だけ。・・客のニーズを読み取り商品を開発する事でも、日本ほど進んだ国はない。

●日本とイタリアはマンマも国。・・親を最後まで面倒・・日本の文化。

 

 

■日本のサラリーマンも案外悪くない

●ヨーロッパは、会社のために働くという感覚がない。・・不思議な人種・・グループの共同作業

●皆大学をでているから、日本のサラリーマンは皆自分が出世すると思っている。ヨーロッパは大卒は少数エリートだからマイペース・・出てない人は出世を考えず生活を楽しむ。

●ヨーロッパ版35歳定年説・・自由に渡り歩けるのは35歳まで。

●日本の修身雇用は今、アメリカで見直されている。・・若い奴は残業しない・・残業は役付きのみ。

●中年以降は日本の方が楽。・・ヨーロッパの定年は65歳。

●30歳離れた仕事の先輩も友達。・・年齢に関係なく友達。・・平等で対等・・

●ヨーロッパの会社組織は。ボスと部下、又は友達。

●バカンスをとれない奴は無能。・・仕事を離れるのがバカンス・・ひたすらポケーッと。

●日本のバカンスは小間切れ・・有給・年末年始・お盆・国民の祝日。

 

 

■ヨーロッパ流コミュニケーションはしたたか

●日本人は子供のしつけを知らない・・子供中心の日本とは大違い。・・犬・猫と同類。

●日本人はなぜ外国人特に欧米人の言葉は、額面以上に受け止めてしまうにか。・・笑顔に騙される

笑顔はタダ・・警戒していませんの合図・・意味がある。

●日本人は白人に甘い国・・性善説・・フランス人はまず疑う。・・甘い。

●親切なのにチップ・・ヨーロッパはほとんどなし。

●湾岸戦争に金銭だけ・・なぜ「日本は平和憲法があるから出兵はできない」と言わないのか?

●ヨーロッパ人は試しながら付き合おうとしている。

●すみませんは潤滑油・・当事者同士の話し合い・大人の国・・・移民の国は弁護士

●すみませんは、注意。エクスキューズがいい。

●ありがとうを多く。

 

作家、エッセイスト デュラン・れい子氏 
作家、エッセイスト デュラン・れい子氏 

 

デュラン・れい子(デュラン・れいこ、1942年 - )は、日本の作家、エッセイスト。東京生まれ。文化学院美術科卒。グラフィック・デザイナーからコピーライターに転向。当時珍しかった女性コピーライターとして博報堂で活動、受賞多数。1976年、スウェーデン人と結婚。スウェーデン、オランダ、ブラジルに住む。1977年、英国国際版画ビエンナーレでの銅賞受賞を機に、現代美術のアーチストとして活動するかたわら、欧米の芸術家を日本へ紹介する仕事を開始。2002年、ひとり南仏プロヴァンスに住み、本を書きはじめる。2007年の処女作『一度も植民地になったことがない日本』(講談社+α新書)が20万部を超えるベストセラーとなり、エッセイストとしてのデビューを果たす。65歳であった

 

 

 

 

■ 60歳から生まれ変わる禅の作法 桝野俊明著

  

「60歳から生まれ変わる禅の作法」 桝野俊明著

2021/6月 18/07/20読了

 

最近、下記の4つをできるだけ心がけて、過ごしています。

 

やることを楽しむ。

季節の移ろいを感じる。

足ることを知る。

感謝の思いを伝えていく。

 

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり

 

この首は、道元禅師が永平寺の夜空を眺めて日本の四季を詠われたもので、四季の姿をあるがままに詠んだとも、坐禅の姿(深い悟りの境地)を意味するとも捉えられています。大意は、「四季のめぐり(春には花、夏にはほととぎす、秋には月、冬には雪)は外側に現れる姿で、それらをそのままに爽やか(すずし)に感じられるのは、見る人の心が爽やかということであろう」。

 

「60歳から生まれ変わる禅の作法」 桝野俊明著
「60歳から生まれ変わる禅の作法」 桝野俊明著

 

 

60歳から「生まれ変わる」禅の作法  桝野俊明 要約

 

 

■やることを楽しむ

 

●それまでの生き方、考え方、行動の仕方、などを一旦ご破算にする。「前後裁断」

●50歳から老いの準備。10年くらいの長期展望。

●プランニングが大事。「禅即行動」。子供の頃のワクワク感を思い出す。

●やり切ることで楽しさが生まれる。主体性の発露。

●生活リズムを組み立て直す。メモはデーターベース。

■現役時代の人間関係を一度「ご破算」にする

●「放下著」肩書を捨てきる。

●新しい立ち位置。

●会いたい人を一人もつ。

●「自利他利」他人のためになること、めぐりめぐって自分のため。

●異業種交流。挨拶から。

●一人の時間をもつ・・孤独に対する備えが必要。

●家族のペースを崩さない・・配偶者のペース。

 

 

■毎日を充実させる「朝のすごし方」

 

●どんな一日になるかは朝で決まる。・・早起きして朝を充実・・いい縁を結ぶこと。「一日一生」

●目覚めたことに感謝する・・命をいただく・・感謝

●今と心で念・・合掌・・

●季節の移ろいを感じる・・季節感・・日本の四季の美しさ

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり・・季節の美しさは移ろい

●自然のなかに、だた、「身を置く」「ひたすら佇む」・・「只管打坐」しかんたざ

●明日の予定を想い描き眠りにつく・・行動の源泉

●お粥のすすめ・・食材の命

 

 

■禅が教えるお金の「考え方」「使い方」

 

●お金は人生を豊かにする「道具」にすぎない・・道具は大切に、かつ上手に使う。

●足ることを知るという生き方・・「知足」

「いまあるもので十分だ・・それだけでありがたい」

「いまのままで幸せだ・・そのことに感謝しよう」

●お金の使い方に優先順位をつける・・一週間のインターバルを追いて、要不要を考える

●時々贅沢を計画・・質のいいものをひとつ・・身の丈にあった金銭感覚

 

 

■健康についてどうかんがえるか

 

●老い抗わない・・体にいいことを人生にプラスする

●起床時間と睡眠時間は一定に・・継続は力なり・・無理せず甘やかさず

●定期的な健康診断・・医療の基礎知識・・病気とどう向き合うか

●朝の散歩・・身も心もリフレッシュ

 

 

■いい人生を締め括る、禅の「仕舞支度」

 

●感謝の思いを伝えていく

●積み残したものを拾っていく

●年の初めに「遺偈」ゆいげを書く。・・思い・過ごし方・

●生きるということ、死に切るということ・・前後裁断・・断たれている

●家族葬・直葬・・戒名で仏になる

●墓・・逝ったあとの自分とゆかりのある人たちを繋ぐ場所

 

 

■座禅のすすめ

 

●朝の時間に座禅・・10分~40分

 

僧侶、庭園デザイナー(作庭家) 枡野 俊明氏 
僧侶、庭園デザイナー(作庭家) 枡野 俊明氏 

 

枡野 俊明(ますの しゅんみょう、1953年2月28日 - )は、日本の僧侶、庭園デザイナー(作庭家)。曹洞宗徳雄山建功寺住職、曹洞宗参禅道場主管。日本造園設計代表、多摩美術大学名誉教授、Beijing DeTao Masters Academy(北京徳稲教育機構)大師。神奈川県横浜市生まれ。1966年3月、曹洞宗徳雄山建功寺第17世住職・枡野信歩の弟子として得度。1975年3月、玉川大学農学部農学科卒業。在学中より斉藤勝雄に師事。1979年3月、大本山總持寺に安居。1982年、日本造園設計株式会社設立。1986年6月、曹洞宗徳雄山建功寺副住職に就任。1994年、ブリティッシュコロンビア大学特別教授に就任。(1997年7月~2000年6月)。1998年、多摩美術大学美術学部環境デザイン学科教授に就任。2000年12月、建功寺第18世住職に就任。2012年5月、Beijing DeTao Masters Academy(北京徳稲教育機構)大師に就任。2022年7月、大教師補任、同年10月赤紫恩衣許可(曹洞宗)。2023年4月、多摩美術大学名誉教授に就任。

 

 

 

■ 中国の電撃侵略 門田隆将著

 

「中国の電撃侵略」 門田隆将・石平共著

2021/05月 21/05/30読了

 

 

2021年に入ってから東シナ海が大分危険な状況になっているかもしれない・・。

中国による「台湾」「尖閣」への侵攻を警鐘した本です。

 

日本の安全保障に言及したなかなか面白い本でした。

やはりそろそろ、アメリカの保護国から脱却して、自立しないといけないですね。

 

「自由」が当たり前の日本ですが、世界の状況は大分変わってきています。

子供たちの将来が心配になりますね。

 

ノンフィクション作家、ジャーナリスト 門田 隆将氏
ノンフィクション作家、ジャーナリスト 門田 隆将氏

 

門田 隆将(かどた りゅうしょう、1958年〈昭和33年〉6月16日[1] - )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。本名は門脇 護(かどわき まもる)。1983年4月、新潮社入社。『週刊新潮』に配属される。2008年4月、新潮社を退社し独立。高知県安芸市出身。土佐中学校・高等学校、中央大学法学部政治学科卒業。

 

「中国の電撃侵略」 門田隆将著
「中国の電撃侵略」 門田隆将著

 

 

 

■ 私の危険な本音 曽野綾子著

 

「私の危険な本音」 曽野綾子著

2021/4月 21/02/20読了

 

人間はほどほどでいいのである。最近の私のモットー。

 

何とか生きて行き、何とか相手に迷惑をかけず、何とか時間が流れ、何とかおもしろいと思っていられれば、

大成功な人生なのである。

 

いつもながら、核心にふれた曽野綾子さんの本音、参考にしています。

 

「私の危険な本音」 曽野綾子著
「私の危険な本音」 曽野綾子著

 

 

私の危険な本音 曽野綾子 要約 2021/01/06

 

第1章

 

■覚悟の育て方

 

日本人は長期の平和と物質的豊かさの目的到達とともに、自身で考える力、苦しみに耐える力、人間社会の必然と明暗を超えて冷静に正視する力を失った。

どんな時でも物事の両面をきちんと見ること。一切の批判はできなくなっている空気を作ったのは主に新聞である。

 

●日本に生まれたというだけで、人生の半分以上は成功だ。

●人間としては恥ずかしい他者への「三つの要求」は、①自分を尊敬しろと言うこと、②人権を要求すること、③自分に謝れと言うこと。

●人生には裏の裏、そのまた裏がある。日本人は単衣で裏表がないから、厚みもなければ強くもない。

 

戦後の一部の政治家が、中国などの目の色を窺い、ついに靖国を見捨てたことは、やはり私の大きな失望だった。

 

●自由とは、自分がしたいことをすることではなく、するべき義務を果たすことだ。

●危険を察知し、避ける知恵を持たなければならない。すべての民主主義は停電した瞬間から機能しなくなることを知っている日本人は少ない。

 

 

第2章

 

■日本人を蝕むもの

 

大人の話ができない幼い日本社会。愛国心は生活必需品と同じくらいのもの。日本という国が安定して成り立っていてこそ、他国を救うこともできる。

 

●生きるのに必要なのは「力」である。世界の国々が生きる道は、政治力・経済力。技術力。

 

多くの国は平和とは縁遠い生活をしている。軍と警察は国家にとって当然備えなければならない防衛機能である。

 

●日本もいつか堕落します。常に堕落の恐れがあります。

●外国人とは居住だけは別にした方がいい。

 

日本という国の特殊性。・・日本人は、異なった生い立ち、宗教、文化、そして外見を持って育った人々が、共に暮らすことの難しさを知らない。世界的に見ても、人種差別は基本的に全く解決されていない。日本人はまだ黄色人種として白人から侮辱されている側にいるんです。今のところ経済的先進国の人間として済んでいるというだけ。

 

日本に生息する平和主義をうたう珍獣。「皆が平和を願えば平和になる」は珍獣。

 

●日本人は信仰や宗教について、恐ろしく鈍感で無礼である。しかし信仰や宗教ほど怖いものはない。

●デモや平和集会や音楽会で、平和が確立できるものなら、こんな簡単なことはない。反戦運動はしなかった人の方が人間的だと思う。

●日本人の精神は、どんどん幼児化していっている。人には良いところもあれば悪いところもある。問題はマスコミ。

 

 

第3章

 

■教育という生モノ

 

日本の教育は、大事なものを半分も欠落させた。子供たちは、飢えも不潔も、貧困も運命に放置されることも、決定的な暑さ寒さも、知らなくなりました。戦後の日本の教育は子供に対して過保護でしたから、いつの間にか自分で何も決められない人間に育っていきます。

 

●子供の親離れはとりもなおさず教育の成功。教育というものは、一人の個人を、自立させることである。

●人生は全部想定外。悪い方に転ぶのも想定外なら、よい方へ転ぶのもまた想定外です。

●自分を教育するのは自分自身だ。

●裏表があることが、人間の本質。

 

重要なことはすべて自分で決定して行動するしかない。

 

●子供には、本来、人生は思い通りにいかないものだ、と教える。

●人間の原型は卑怯者であることを忘れてはならない。

●学校なんてそれほど大切なものではない。友達との遊び、親から教わる、ことの方がはるかに大きい。

●死については幼い時から学ばせた方がいい。死があってこそ、初めて、我々人間は選択ということの責任を知る。自分がどんな生涯を送るか、自分で決める他はないことを知る。

 

 

第4章

 

■ほどほどの忍耐と継続

 

人間はほどほどでいいにである。何とか生きて行き、何とか相手に迷惑をかけず、何とか時間が流れ、何とかおもしろいと思っていられれば、大成功な人生なのである。

 

●人間の成功不成功は、戦争、内乱、ひどい伝染病、天災などによる、個人が避けられない被害を受ける場合を除いて、すべて七、八割が当人の責任、残りが生んである。

●職業は好きでなければならない。これが唯一、最大、第一にして最後の条件である。学業も職場も、何が好きかわからない人は、それだけで自分に才能がない、と思いあきらめるべきである。

 

日本はこれまでのような経済大国一辺倒から、技術国家、職人国家を目指すべきだと思っています。

 

●成功のたった一つの鍵は、忍耐と継続。忍耐さえ続けば、人は必ずそれなりの成功を収める。

 

 

第5章

 

■歯ごたえのある関係

 

●中年の子供の未熟さが世間を歪めている。

●子供がかわいいなら、あきらめて手放すこと。子供が独立するときは、感情ではなく理性で、義務として切り離すことです。

●結婚とは相手の総てを我慢して、引き受けることである。

 

日本は「徳の心」をすっかり無くしてしまっている。

 

 

第6章

 

■人間としての分を知る

 

運、不運を見れば人生は平等などありえない。だから平等でない運命を、しっかりと使う方法を考え出すのが、人間の知恵というものです。人間は平等である、と日本人は教えられましたが、これはれっきとしたうそですね。「運」も「才能」ももともと不公平なものです。つまり「運」や「才能」はいわば宿命的なものです。

 

●適当に怠けて自分の心をのんきにすると、人に寛大になれる。

 

 

第7章

 

■大人の老いの心得

 

●死んだ後のことはきれいさっぱり何一つ望まない。

●「安心しない毎日を過ごす」のが一番のぼけ防止である。

●神の贈り物として孤独と絶望を味わう。

●最後へ静かに変わって行くのが人間の堂々たる姿勢である。

●老人といえども自立しなければいけない。他人はあてにするな。自分のことは自分で始末していくのが当然のことなのだ。

 

一人になった時のことを、繰り返し考え準備する。火災訓練と同じようなもの。

 

年をとっても少し無理をして生きる。老人といえども他人に依存せず、自分の才覚で自立すべきだ。

 

●死ぬ日まで自分のことは自分でする。身体を保つことを仕事にすべき。強固な目的を持つこと。

歯磨き、洗面、入浴、トイレ、食事、食物の用意、洗濯、掃除、終生する決意を持つこと。

●人間は誰でも「思いを残して死ぬ」。老人の最後の仕事は、人間がいかに死ぬか、の姿をみせること。

一生懸命に死ぬことである。

●あらゆることに絶望し、思い残すことなくこの世を去る。

 

一生の間に、ともかく雨露を凌ぐ家に住んで、毎日食べるものがあった、という生活ができたら、その人の人生は基本的に「成功」だったと思います。

 

死を前にして初めて最も大切なものに気付く。最後にあったほうがいいのは、慣れた食事・お酒・花・音楽。

 

最後に必要なのは、愛だけなのである。愛されたという記憶と愛したという実感との両方が必要だ。

 

作家 曾野綾子氏 
作家 曾野綾子氏 

 

曾野 綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 - )は、日本の作家。「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。

 

 

 

■ アメリカに強要された日米戦争の真実 加瀬英明著

 

「なぜアメリカは対日戦争を仕掛けたのか」2部作

「アメリカに強要された日米戦争の真実」 加瀬英明著

2021/3月 21/01/24読了

 

日米の記録を時系列的に対比して検証、いや~すごい本だった。近現代史は面白い。

これだけ用意周到に仕掛けられたら勝てないね。

 

米軍三沢基地の近くの八戸で育った、4~5歳の冬の寒いころ、

母に手を引かれて乗ったバスの中で、米軍の隊員さんにチョコレートを貰った。美味しかった。

小学生のころの空は、いつもジェット戦闘機が飛んでいた。普通だった。

大人になって仕事で接したアメリカ人は、皆んな良い人達だった。

 

アメリカに守られて日本の平和が維持されていますが、イギリス人にいつまでも「アメリカの保護領」と言われないように、

そろそろ日本も自立しないとね。

 

くしくも今日は、日米2プラス2が開かれますが、子供や孫の代まで、アメリカは同盟国であり、良い関係であって欲しいと、願っています。

 

要約は「近現代史記事紹介」にも掲載しています。

 

「アメリカに強要された日米戦争の真実」 加瀬英明著
「アメリカに強要された日米戦争の真実」 加瀬英明著

 

 

なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか  加瀬英明著 要約

アメリカに強要された日米開戦の真実

日米開戦に至るまでの、時系列的な、日本とアメリカ両国の「記録の対比」

1941年12月7日・・真珠攻撃

 

■まえがき

 

●1945年(昭和20年)8月に終わった日米戦争とは、いったい何だったのだろうか

あの戦争へ導いた歴史を、公平に検証すれば、アメリカが日本に対して仕掛けた戦争だった。

日本国民にとって、先の対米戦争と幕末における明治維新が、日本の近代史における二つのきわめて重い体験となった。

 

●明治維新が「御一新」と呼ばれ、昭和20年の夏までの日本をつくったように、先の敗戦が日本を再び大きくつくり替えた。

 

●狂乱の時代だった。日本はアメリカによって、翻弄された。

 

 

第一章 ルーズベルトが敷いた開戦へのレール

 

■アメリカの決意、日本の独り芝居

 

●日本は先の戦争に敗れてから、自国の歴史を失った国となった。

●事実は、アメリカは日本が真珠湾を攻撃するかなり前から、日本と戦って、日本を屈服させ、日本を無力化することを決定していた。

 

 

■フランクリン・ルーズベルトによる敵対政策の始まり

 

●フランクリン・ルーズベルトによる敵対政策の始まりは、1936年(昭和12年)、日本が真珠湾攻撃をする5年前だった。

 

●蒋介石政権への援助

 

 

■なぜルーズベルトは、中国に肩入れしたのか

 

●当時のアメリカは、中国がアメリカの勢力圏のなかにあるとみなしていた。中国はアメリカから多くのキリスト教宣教師を受け入れた。同時にアメリカ国民も「巨大な中国市場」を夢みて、中国に好意を寄せていた。

 

●一方、日本はアメリカに媚びることなく、伝統文化を頑固に守り、キリスト教文明に同化しない異質の国だった。

 

 

■日独伊に向けられた「防疫演説」。

 

●日本、ドイツ、イタリアを危険な疫病患者になぞらえた「防疫演説」として有名になった1931年のルーズベルトの演説である。

 

 

■中国空軍機による吸収来襲

 

●1938年アメリカの製のマーチンB10爆撃機の中国機の九州、熊本県と宮崎県を侵入

 

 

■日本の外交文書をすべて解読していたアメリカ

 

●1938年7月、ルーズベルト政権は、アメリカ航空機と航空機部品の製造業者と輸出業者に、日本への航空機と部品の輸出禁止を禁じた。

 

●1939年ドイツ、イギリス、フランスで、第二次世界戦争が勃発。

 

●1940年10月、アメリカ陸海軍の暗号解読班が日本の外交暗号すべてと、日本海軍の一部を、解読することに成功。ハロルド・スターク海軍作戦部長は、解読作業班の「マジック」を「何とも素敵な仕掛け」と呼んだ。

 

 

■中国軍に偽装した日本本土空襲計画

 

●1940年12月、ヘンリー・モーゲンソー財務長官が「中国に長距離爆撃機を供給して、日本を爆撃するべきと」と提案。大統領の了承を得た。真珠湾攻撃の1年前。

 

●ルーズベルト大統領の四人の側近は、モーゲンソー財務長官、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、フランク・ノックス海軍長官。中でもスチムソンは日本を嫌っていた。後に陸軍長官として、広島、長崎に原爆を投下する決定を下した。

 

●1939年12月、ルーズベルト政権は、対日禁輸物資に、航空機に欠かせない、アルミニュウム、マグネシュウム、ミリブデンを追加、さらに航空用ガソリンのプラント、航空用ガソリンの考案・専門情報を追加した。

 

●さらに1940年7月、ルーズベルト政権は、1911年に締結した「日米通商航海条約」を延長しないと決定した。

 

 

■日本を戦争におびき寄せた本当の理由

 

●この年1940年、フランスがドイツに降伏し、ルーズベルトはヒトラーが飽くなき征服欲に駆られて、イギリスが滅亡すれば、アメリカの滅亡をも招くと確信していた。そこでアメリカがヨーロッパ戦争に参戦すべく、日本にアメリカとの戦争を強いて、ヨーロッパの戦争に裏口から入ることを企てた。

 

●1940年9月、米英防衛協定が調印、50隻の旧駆逐艦と大量の小銃、機関銃、砲、弾薬を貸与することを決定。

 

 

■ルーズベルトを喜ばせた三国同盟の締結

 

●1940年9月、ベルリンにて、日独伊三国同盟条約が調印された。ルーズベルトは「これで、日本をわれわれとの戦争に誘い込める」と語ったという。

 

●三国同盟によって、世界が日独伊の枢軸国と、イギリス、アメリカなどの民主諸国に二分された構図をつくってしまった。

 

 

■着々と進む日本追い詰め政策

 

●1940年10月、海軍情報部極東課長のアーサー・マッコムが大統領に、日本をどのようにして対米戦争まで追い詰めるか、提案書を提出した。ルーズベルト大統領はこのマッコラム提案をただちに承認した。

 

●マッコラム提案は:①蒋介石政権への可能な限りの支援、②米英が協力して日本に対して完全な禁輸を実施、③蘭印に日本へ石油を輸出させない、④日本を挑発するために日本近海に巡洋艦を出没させるなど。

 

●1940年11月、ルーズベルト大統領は、アメリカが「民主主義国の兵器廠となる」と発表、ラジオで炉辺談話。

 

●1941年1月、マッコラムが、日本を苛立たせて対米戦争におびき寄せるために、アメリカの巡洋艦を使って、日本本土の領海を侵犯させるという提案を行い、検討された、国際法違反。

 

●1941年2月、ルーズベルト政権は国務省のなかに、日本と戦って屈服させた後に、日本をどのように処理するか研究する、「特別研究部」を発足させた。日米開戦の10か月前だった。

 

●1941年3月、武器貸与法を、中国にも適用することを決定。また小城リスと蒋介石政権とのあいだに、英中軍事協定が結ばれた。

 

 

■開戦五カ月前に日本爆撃を承認した文書

 

●1941年5月、ルーズベルト大統領は、陸海軍に蒋介石政権に爆撃機を供与して「JB―355(日本本土奇襲爆撃計画)」計画を具体化するよう公式に命じた。」7月陸海両長官が連署した立案を承認した。真珠湾攻撃の5カ月前である。今日、ルーズベルト大統領が7月23日に、日本本土爆撃作戦の承認した文書が、公開されている。この作戦は実際にはヨーロッパ戦線が急迫し実施されなかったが、事実には変わりない。これはアメリカ国民を欺き、日本をだまし討ちにするものだった。もし、日本側がこの計画を察知していたとすれば、真珠湾攻撃は自衛権の発動に基づいた反撃になるものだった。

 

 

■「日本という赤子をあやす」

 

●1941年8月、アメリカは、石油をはじめとする戦略物資の対日全面禁止と、在米日本資産の凍結を行った。日本に戦争の大一発目を撃たせようとして、日本の喉もとを一層締めあげたものだった。

 

●この時期、ルーズベルト大統領の巡洋艦による日本本土領海侵入は3回にわたって実地された。

 

●1941年8月12日、ルーズベルト大統領はチャーチル首相と洋上会談し、8月14日「大西洋憲章」を発表した。

 

 

■直前まで対米戦争を想定していなかった日本

 

 

■日米首脳会談に望みをかけた近衛首相

 

●8月、9月、に申し入れたが、先延ばしされ実現しなかった。ルーズベルト大統領は日本と戦うことを決めていたので、日米交渉が妥結することを望んでいなかった。

 

 

第二章 米政府が秘匿した真珠湾の真実

 

■開戦を前にした昭和天皇の懊悩

■悲痛のきわみ、宮中御前会議

■山本五十六の無責任発言

■アメリカに筒抜けだった連絡会議の結論

■日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ

 

●1941年11月25日、ルーズベルト大統領がホワイトハウスに、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、マーシャル参謀総長を招集して「次の月曜日(12月1日)当たりが、もっとも危険になると思う」と述べた。

●この時の記録によると、スチムソンが「日本に最初に撃たせると危険もあるが、アメリカ国民の完全な指示を取り付けるためには、確実にジャップス(日本人)に第一発目を撃たせることが、望ましい」と発言した。

●会議は「アメリカに過大の危険を招かぬように配慮しつつ、日本のほうから攻撃せざるをえないように仕向ける」ことで合意した。

●この夜のスチムソンの日記には「問題はいかに彼ら(日本)を誘導して、われわれがさほど大きな損害を蒙ることなく、最初の一発を撃たせるかだ。これは、難しい計略だ」と、記されている。

 

 

■開戦強要の最後の一手

 

●1941年11月26日、ハル国務長官は野村、来栖老大使を国務省に招いて「ハルノート」を手交した。内容はアメリカの最後通牒だった。ハルノートは十カ条から成り立っていた。中国大陸と仏印から、一切の陸海空軍と警察力を即時撤収すること、蒋介石の重慶以外の政権を認めることを禁じた点だけをとっても、考慮の余地がなかった。ハルノートは、日米交渉がそれまで積み上げてきたものを無視して、根底から壊す言語道断のものだった。ルーズベルト政権は日本が受諾することを、はじめからまったく期待していなかった。

 

●ハルノートについてのチャーチルの回想:「われわれはその瞬間まで、十項目について知らなかった。この文書はわれわれが要求していたものを、はるかに大きく上回ったものだった。日本大使があきれ返ったというのは、その通りだったにちがいない」。

 

●ハルノートを起草したのは、モーゲンソー財務長官の片腕のホワイト次官補だった。この文案は日本に戦争を決意させるように追い詰めることを狙ったもので、モーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領に提出された、ルーズベルト

大統領は直ちに承認し、ハル国務長官に日本大使に手交するよう指示した。

 

 

■その時、ルーズベルトは何をしていたか

 

■なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか

 

●1941年11月28日、ハルはイギリス駐米大使ハリファックス卿に「日本との外交関係は、事実上終わった。仕事は、すでに陸海軍の手に移った。日本は突然動き、それも完全な奇襲となるはずだ」と告げた。

●1941年1126日、キンメル太平洋艦隊司令官はスターク海軍作戦部長から、突然、空母「エンタープライズ」と「レキシントン」でウエーキ島とミッドウエイ島へ陸軍の戦闘機を運ぶよう命じられ、2隻しかなかった空母は真珠湾を離れた。真珠湾に残ったのは、戦艦「アリゾナ」をはじめ、ほとんどが旧型艦だった。

 

 

■万策尽きての開戦決定

 

●1941年12月1日、ハルノートの最後通牒について会議が催され、御前会議ににて開戦が決定された。

 

 

■暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府

 

●1941年12月6日、東京が野村大使に宛てた最終覚書(7日の午後1時に開戦を手交することを命じた訓電)をただちに「マジック」で解読し、大統領、国務長官、陸海軍長官、陸軍参謀総長、海軍作戦部長に配布した。

 

●1941年12月6日、レスター・シュルツ海軍中尉が、日本から野村大使に宛てた開戦の対米覚書13部までの「マジック」によって解読された文書を、ホワイトハウス大統領執務室まで届けた。ルーズベルト大統領は解読書から目をあげると「これで、いよいよ戦争だ」と言った。真珠湾攻撃の1日まえであった。

 

●1941年12月6日、マーシャル参謀総長は、日本による開戦の決定をすぐに知らせず、民間の電信会社を使って遠回りして遅らせ、そのためホノルルのショート陸軍司令官が受け取ったのは日本軍の真珠湾攻撃が終わってからだった。

 

●ルーズベルトが、アメリカが終始、平和を求めていた証拠を偽装して,後世に残すことをはかったものだった。

 

●在米大使館が本省から最終覚書を、アメリカの東部標準時間で12月7日午後1時に手交することを支持されたにもかかわらず、野村、来栖両大使がハル国務長官に手交したのは、真珠湾攻撃後の午後2時過ぎになった。日本大使の失態ではあるが、ハル国務長官は前日の12月6日にこのことを知っていた。

 

 

■ハワイにだけは情報を伝えなかった謎

 

●ルーズベルト大統領は、日本画127日にハワイを攻撃することを知っていた。にもかかわらず、マジック解読情報は、ハワイの太平洋艦隊司令官ハスバンド・キンメル大将と、陸軍司令官ウオルター・ショート中将だけに芭、知らされなかった。

 

●1941年12月6日夜、ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃の前夜に、ホワイトハウスに家族全員を集めて、有色を楽しみながら談笑した。食事中に中座した戻ってくると、晴れやかな表情を浮かべて、家族を見回して、「戦争は、明日始まるよ」と言った。

 

●ルーズベルトはアメリカをヨーロッパ戦争に参戦させるために、日本が真珠湾を攻撃することを知りつつ、ハワイの太平洋艦隊を生贄にしたのだった。

 

 

■アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激

 

●1941年12月7日、真珠湾攻撃されたその日、ルーズベルト大統領が主要な上下院議員をホワイトハウスに招き、「私はわが国が攻撃された場合以外には、戦争に突入することはありえないと、繰り返し誓約してきたが、われわれは攻撃されたのだ。この事には、何らの疑問もない」と語った。翌日議員両院総会にて日本に宣戦布告することを求めて、議会は対日宣戦布告を承認した。

 

●1941年12月7日、ロンドン、チャーチル首相はルーズベルト大統領に電話を入れ、ニュースを確認すると、ルーズベルト大統領は「日本は真珠湾を攻撃した。いまや、われわれは同じ船に乗ったわけだ」と答え、チャーチルが「これで、事が簡単になった」と相槌をうった。

 

●チャーチルは後に著書「第二次世界大戦」のなかで、その日、日本の参戦によって、「すでに戦争に勝った。(略)われわれは戦争に勝ったのだ。(略)私は感激と興奮によって満たされて、すっかり満足して床につき、救われたことに感謝しながら、やすらかに眠りにおちた」と述べている。

 

 

■ルーズベルトは、いかにして四選を果たしたのか

 

●大戦中の1944年6月、イギリスのオリバー・リトルトン工業大臣がロンドンの講演で、「日本はアメリカによって謀られて、真珠湾を攻撃した。アメリカが戦争に追い込まれたというのは、歴史を弯曲したものだ」と語った。

 

●1944年大統領選にて、共和党候補のトマス・デューイ・ニューヨーク州知事は「ルーズベルト大統領が日本の外交暗号と、海軍暗号を解読して、事前に、日本による真珠湾攻撃を承知していたにもかかわらず、香にハワイの太平洋軍司令部に情報を伝えることをしなかったことを取り上げ、ルーズベルトを攻撃しようとしたが、ジョージ・マーシャル参謀総長が「日本はいまだに海軍暗号を解読されていることを知らないから、もしこのことが暴露されたら、利敵行為になると説得し、デューイは思いとどまり、300万票差の僅差で敗れた。

 

 

■終戦の方策を考える余裕すらなかった日本

 

 

■アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相

 

●1941年12月16日、キンメル太平洋艦隊司令官とショート陸軍司令官は、ルーズベルト大統領によって、「職務怠慢」のかどで罷免された。海軍は開戦に至るまでの「マジック」の情報を、すべて金庫のなかに収めて、封印してしまった。

 

 

■終戦一年前に作られた日本占領統治計画

 

●日本は1945年(昭和20年)8月15日に、力尽きて敗れた。9月2日に、東京湾に浮かぶ戦艦「ミズーリ」の上甲板で、降伏文書調印式が行われた。

 

●1944年3月、アメリカ国防省の戦後計画委員会で、報告書がまとめられた。骨子は、日本をアメリカによる単独占領下に置いて、日本の徹底的な非武装と、「民主化」を行ない、後になって日本が講和条約によって独立を回復しても、名目的なものとして、実質上はアメリカの管理下に置くというものだった。天皇を占領下で在位させて利用し、日本政府を存続させて、間接統治することが盛り込まれた。20か月後に始まった対日占領は、戦後計画委員会による筋書きに、沿ったものとなった。

 

 

■日本国憲法にこめたアメリカの狙い

 

1944年12月、国務省ではヒュー・ボートンが中心になって、対日平和条約案を作成作業が始まった。

 

●1946年に対日講和条約案が完成。この対日講和条約第一次案では、日本が永久にいっさいの軍事力を持つことを禁じた。航空機は軍用機、民間機も保有禁止、戦略物資の貯蔵禁止、軍事目的を持つ研究禁止、核平和利用に関する研究禁止、公職追放者は永久に続く。講話条約を結んだ後25年間にわたり、極東委員会、連合国の対日占領政策の決定機関を構成する11カ国からなる国際監視団によって、監視されることになっていた。

 

●マッカーサー元帥の総司令部は、この講和条約第一案を下敷きにして、日本国憲法を押しつけるように指示された。

 

 

第3章 日本人が知らない日本の歴史的功績

 

■廬溝橋事件は日本の仕掛けではなかった。

 

●中国共産党の工作員が定説

 

 

■東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは

 

●東京裁判の主催者であったマッカーサー元帥は、日本を侵略国家として、一方的に断罪した。

 

●マッカーサーは東京裁判の判決から2年半後の1951年(昭和26年)5月3日に、アメリカ上院軍事海晃合同委員会において、日本はやむにやまれず自衛のために戦わざるをえなかったという趣旨の証言を行った。

 

●マッカーサーは、アメリカが工業国にとって不可欠な石油や、屑鉄などの原料の対日禁輸を行ったことに触れて、「彼ら(日本)はもし、これらの原料の供給が断ち切られたら、1000万人から1200万人の失業者が発生するだろうことを、恐れていた」「したがって、日本画戦争に飛び込んでいった動機は、その大部分が安全保障の必要にせまられてのことだった」と述べた。

 

●東京裁判は復讐劇であるよりも、日本国民に日本が犯罪国家であると、思い込ませるために行われた。

 

●国際法に「平和にたいする罪」は存在しない。戦勝国となった連合国が、創り出したものだった。「平和に対する罪」は「侵略戦争を計画して、遂行した犯罪」とされた。

 

●根拠にされた、1928年のパリ条約(不戦条約)、ケロッグ・ブリアン条約では、侵略戦争について、定義することが出来なかった。アメリカ上院議会で、ケロッグ長官は、「国家が軍事的に攻撃されたのではなく、経済封鎖を受けた場合、これはもちろん、戦争行為そのものだ」と断言した。

 

●日本が日名戦争に当って侵略戦争を戦った罪で被告席に座らされたが、史実は日本ではなく、ルーズベルト政権がのアメリカが裁かれるべきだったことを証いている。

 

●それまで、人類史で戦勝国が敗戦国を、戦争を戦った罪によって、裁いたことはなかった。東京裁判自体が悪質な国際法違反だった。

 

 

■日米戦争の原因の一つは人種差別

 

●アメリカが日本を戦争に強いた大きな原因の一つが、人種差別だった。

 

●昭和天皇は1946年4月、戦争の原因として、「白色人種の有色人種に対する優越感によって、日本人種が嫌われたことがある」と語られた。

 

●反対意見のラビノド・パル判事、オランダのバート・レーリング判事、フランスのアンリ・ベルナール判事の反対意見は、公表を禁じられた。

 

●パル博士は、「連合国は極東裁判で、日本画侵略戦争を行ったことを歴史にとどめることによって、欧米列強による侵略を正当化し、日本に過去の罪悪の烙印を押すことが目的だった」と断じている。

 

●レーリングは、「人種差別が、太平洋戦争の主因の一つだった。連合国の国民は、日本人を人間以下とみなすように教育された。広島、長崎で数十万人を、一瞬のうちに焼殺したのも、人間ではないと感じたから、できたのだ」と述べている。

 

●1944年のアメリカ派、日本に対する激しい憎しみによって、沸き立っていた。この年のギャラプ社の世論調査では、「日本民族を是詰めるさせるべきか」という質問が用意され、13%が支持している。

 

 

■トルーマンもマッカーサーも、人種差別主義者だった

 

●ルーズベルトの死去を受けて、大統領になったハリー・トルーマンも、激しい人種差別主義者だった。日本が降伏した直後に、日本人は「悪辣で、残忍な野蛮人だ」と言っている。ユダヤ人も嫌った。

 

●マッカーサー元帥も、人種差別主義者だった。ユダヤ人も蔑視していた。

 

 

■トインビーが日本に与えた歴的評価

 

●1956年、歴史家アーノルド・トインビーは、イギリスの高級新聞「オブザーバー」に次のように寄稿している。「日本は第二次世界大戦において、自国ではなく、大東亜共栄圏の他の国々に思いがけない恵みをもたらした。それまでアジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、無敵で、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にそうではなかったことを、人類の面前で証明してしまった。これは、まさに歴史的な偉業であった」

 

●「日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打つことをなしとげた」

 

●1898年、アメリカは、フィリピン、グアムを奪い、ハワイをアメリカ領に組み込んだ。アメリカにハワイ、フィリピンを支配する何の権利があったのだろうか。

 

 

■軍人として無能だったマッカーサー

 

 

■マッカーサーの日本非武装中立論

 

●1945年8月16日、スターリンは、マッカーサーが連合国軍最高司令官となることを承認したが、同時にソ連が北海道の一部を占領することを、要求した。トルーマンはソ連軍が北海道に進駐することを、拒んだ。

 

 

■日本の「宗教改革を」を企んだマッカーサー

 

 

■アメリカの日本に対する戦後処理の愚

 

●1950年朝鮮戦争が始まると、マッカーサーは日本尾非武装中立国家とする信念をすてて、変節せざるをえなかった。日本共産党を事実上非合法化した。

 

●日本政府に対して、7万5000人の警察予備隊を創設するように命じた。これにより日本の非武装化を定めたポツダム宣言が反故となった。

 

●チャーチルは大著「第二次世界大戦」の冒頭で、イギリス、フランス、アメリカが行った第一次世界大戦尾処理が「愚行」だったと批判した。アメリカの日本に対する戦後処理も、まさに愚行だった。

 

 

■ルーズベルトを「狂人」と呼んだハーバート・フーバー元大統領・・1929年大統領就任1期。共和党。

 

●トルーマンに対して、アメリカが真珠湾攻撃の報復をしようとするあまり、日本を壊滅させることがあってはならないと戒めた。そして共産主義者がアジアへ進出するのを食い止めるために、日本と一日も早く講話すべきだと説いた。

 

●フーバーは日本がアジアの安定勢力であって、戦後も日本による朝鮮半島と台湾の領有を認めるとともに、日本経済の回復を助けるべきだと、主張した。

 

●フーバーは「日本は基本的に、西側に属する国家だ」と論じた。

 

●またフーバーは、中国大陸の共産化を防止するために、日本軍が秩序をもって段階的に、撤収すべきことを進言した。

 

●アメリカは日本占領中に米ソの冷戦が激化すると、日本の占領政策を根本から改めた。フーバーは炯眼だった。

 

●フーバーは戦後マッカーサーと会って、「日本との戦争のすべてが、戦争を仕掛けたいという狂人の欲望だった」と述べたところ、マッカーサーも同意した、と回想している。

 

●マッカーサーは「日本に対する経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが、本質的に戦争であった」と述べた。

 

●もし、日本が朝鮮半島を領有しつづけたとしたら、朝鮮戦争は起こらなかった。日本軍が中国大陸にかなりの期間にわたって留まっていれば、中国が共産化することもなかった。

 

 

第4章 この教訓から何を学ぶか

 

■国際政治は、いかに非情であることか

 

●日本国民は国際政治が非情なものであることを、知らねばならない。

 

●日本は中国、ロシア、北朝鮮という三つの書く武装国と向き合っている。日本が将来、もし、アメリカの「核の傘」を失うことがあったとしたら、日本に対して各威嚇を行うか、核攻撃を加えてくる可能性があるだろう。

 

 

■まやかしの「平和主義国家」

 

●今も、日米安保条約も憲法も、日本がアメリカの被保護国であるという状況は変わっていない。

 

●戦後の日本の平和主義は、】日本画国家であることをやめ、外国の被保護国として安逸な環境に馴れるうちに、国民の間に定着したものである。

 

●日本はどの独立国であっても持っている「建国の精神」を忘れてしまった。

 

 

■無責任なコンセンサスに縛られた「日本国憲法」

 

●日本人が成熟した自己を持っていないことから起こる。

 

 

■小室直樹の吉田茂に対する辛辣な評価

 

吉田茂は、サンフランシスコ講和条約調印(1951年9月8日)後、日本国憲法を改憲しなかった。もし吉田首相が、講和条約締結前に、ダレス特使から日本が強い軍事力を備えることを求めたのを拒まずに、警察予備隊を国軍に改編することを決意していたら、アメリカから反撥を招くことなく、憲法を改正することができた。

 

 

■福沢諭吉の戒告

 

●小生と自立心は一つのものだ。日本人から個性が失われたのは、国家の安全と独立をアメリカに委ねて、国家としての自立すべきことを忘れてしまったからである。

 

●「一身の独立なくして、一国の独立なし」

 

●日本の国際社会に仲間入りすることの夢

独立を全うし、世界の一流国となること、人種平等の世界をつくること、

 

●日本によって、世界のありかたが一変した。それだけに西洋諸国による報復も、すさまじいものだった。戦争に勝った連合国は、日本の輝かしい歴史を抹殺することを、はかった。

 

 

■インドとインドネシアの独立に果たした日本の役割

 

●アメリカは民主主義国家ではなかった、国内で同じアメリカ人である黒人を法的に差別して。辱めていた。

 

●日本が先の大戦中にアジアの諸民族を解放したために、その高波がアフリカ大陸をも洗って、アフリカ諸民族もつぎつぎと独立していった。

 

●1960年代に、マーチン・ルーサー・キング牧師によって黒人差別撤廃が起こり、黒人が白人とたいような権利を獲得した。1967年に最後の3つの州で黒人との結婚が許された。

 

●日本が先の大戦で大きな犠牲を払って、幕末から夢みてきた人種平等の理想の世界を、招き寄せたのだった。

 

外交評論家 加瀬 英明氏
外交評論家 加瀬 英明氏

 

加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日- 2022年11月15日)は、日本の外交評論家。自由社社長。日本会議代表委員、日本教育再生機構代表委員などを務め、右派・保守の論者として知られた。父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはオノ・ヨーコがいる。慶應義塾大学経済学部卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ国際大百科事典の初代編集長を務める。青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育ったことなどがきっかけで、評論・執筆活動を行うようになる。政財界でも活動し、福田赳夫内閣・中曽根康弘内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸内閣の外相特別顧問などを歴任した。

 

 

 

■ 日米関係の検証・ヘンリー・S・ストークス著

 

日米関係の検証・・「ペリー襲来から真珠湾への道」 ヘンリー・S・ストークス著 藤田裕行訳

2021/2月 20/01/22読了

 

日本人ではない人、イギリスのジャーナリスト、ヘンリー・S・ストークスから見た日米関係。

 

日本人にはない視点で、ペリー来航からマッカーサーまで、世界からみた日本とアメリカを語っています。

 

非常に面白かった。

 

日本をよく知るイギリス人からみると、日本は現在でも、「アメリカの保護領」であるらしい。

 

アジアで完全に独立していない国とのこと。

色々と考えさせる指摘です。

 

 要約は「近現代史記事紹介」にも掲載しています。

 

「日米関係の検証」 ヘンリー・S・ストークス著
「日米関係の検証」 ヘンリー・S・ストークス著

 

 

なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 要約

第二部 ペリー襲来から真珠湾への道(日米関係の検証)

ヘンリー・S・ストークス著  訳:藤田裕行

 

 

第一章 100年にわたるアメリカの野望

 

■アメリカが隠蔽してきた史実

 

●従兄でイギリスの軍人、ネーサン・クラークの証言

1941年、日本が真珠湾攻撃する6か月前に、アメリカが日本に対して、戦争を仕掛ける準備を、ビルマラングーン基地で行っていた事実を目撃。

 

●私が学生時代の時は、地球儀の大部分がピンク色に塗られた大英帝国だった。アフリカのほぼ全土が、ピンク色だった。日本を除くアジアの大部分がそうだった。第二次大戦の結果、地球上のほとんどのピンク色が、1950年代初頭までに消滅してしまった。全く新しい世界が誕生した。

 

●人類がいまわしい植民地を捨て去って、人種平等の新しい世界を呼び寄せることができたのは、ひとえに、日本国民が血を流したためだった。そのそも、アメリカはどうして対日戦争を始めたのだろうか?

 

 

■ペリーという「海賊が」犯した罪状

 

●マシュー・ペリー提督はアメリカ海軍の制服に身を包んだ海賊集団だった。星条旗と黒い海賊旗を掲げた強力な炸裂弾砲を搭載した4隻の黒船は、1853年7月日本の浦賀水道に到着、新鋭砲を誇示して強引に居座った。

 

●ペリーは、アジア最後の処女地日本、この人口2000万人の優れた文化を持つ国を凌辱した。これによりぺリーは日本に、西洋に対しての長年にわたって燻り続けた敵愾心をいだかせた。それがのちに日本による真珠湾に始まった反撃を生ませた。

 

●ペリーが国際法に照らして、日本に対して海賊行為を働いたのにもかかわらず、アメリカは今日に至るまで、謝罪していない。

 

●もし、ペリーが来航した時に、日本を対等に扱い、アメリカがその後、日本に対して正しく振る舞ったとすれば、日本は現在のようなアメリカの保護領ではなく、アジアで完全に独立した大国になれたはずだった。

 

 

■何がペリーを大航海に駆り立てたのか

 

●星条旗を掲げ、当時の世界の最強の外輪船の艦隊を率いて、世界を一周して、極東に達することは、壮大なプロジェクトだった。ペリーは黒船を率いて、1853年、中国から~沖縄~小笠原諸島を回って日本に100日間かけて到達した。

 

●表の目的は1通の書簡(アメリカ合衆国大統領の親書)をとどけること。内容は捕鯨産船が難破して日本沿岸に打ち上げられたアメリカ船員のまともな扱いの要求だった。

 

●表向きは、正規の郵便配達人。一つ目の目的。

 

 

■「神の意思」によって正当化された侵略行為

 

●二つ目の目的は、東洋への侵略を裏書きする根本的なもの、神によって祝福された使命を果たそうとしたというものだ。

 

●アメリカ合衆国を築いた清教徒たちは、「神から与えられた明白な使命」によって、西へ西へと領土を拡大することを、神の御皆を実現することだと信じた。交易は神の意思だった。

 

●アメリカはこのような動機に駆られて、通商の世界に躍り出た。アメリカ合衆国は領土を休むことなく拡げ、太平洋に面したサンディエゴ、サンフランシスコ、シアトル、ポートランドなどの新しい港を、つぎつぎと獲得していった。侵略に次ぐ侵略。

 

●世界帝国を建設しつつ、アジアへの道を開いたのは、イギリスだった。

 

●アメリカはもともとイギリスから大西洋を渡った清教徒によって、自分勝手に「約束された土地」と呼んだ北アメリカ大陸を侵略して、築かれた国である。したがって領地を拡げるのに当って、天賦の権利を有していると信じた。

 

 

■日本に埋蔵されれいた「黒いダイアモンド」

 

●来航の目的、第三の説は、黒船は石炭を求めていた。

 

●1846年、アメリカは無辜の共和国だったメキシコに奇襲攻撃をかけた。この時使われたのがシェル炸裂弾だった。戦闘に不可欠なものそれは「黒いダイヤモンド」である石炭。

 

●国務長官ウエブスターいわく「石炭は人類一家のために、万物の創造主から日本列島に置かれて、賦与された、主からの賜物である」神の存在は常に、アメリカの行動の原動力として存在してきた。いまでも、アメリカ人の頭から創造主を、排除することは出来ない。

 

 

■ペリーの野望が結実した横須賀米軍基地

 

●ペリー艦隊はアメリカの基地を探していたのだ。黒船の艦隊は、今日、アメリカが所有するものを探して、渡ってきた。つまり横須賀である。今日、この横須賀海軍基地は、ほぼ、ペリーが黒船艦隊の錨を投げ入れた場所に位置し、アメリカ第七艦隊が母港としている。黒船はおよそ150年前に、その先鞭をつけたのだ。

 

●ペリーの日記にはこう記されている。「神がこの素晴らしい天地(日本)を、創造された。われらの試みが、これまで見離された人々(日本人)を(キリスト)文明へとお導きくださるように、祈ります。どうぞことが成就しますように」。

 

●ペリーも白人キリスト教徒だけが文明世界の家族で、それ以外は孤児のような野蛮人だという、世界感に立脚していた。

 

 

■世界一の文化都市だった江戸

 

●イギリスの使節オルコック(初代イギリス公使)の証言:「江戸の街は、美そのものだった」。

 

●生活、絵画、舞台芸術、文化財、治安、旅籠、協同組合、木版画、能楽、歌、書芸、教育、

 

●日本から戻ったペリーの講演:「日本はいつの日か、他国の追随を許さない産業国家ととして台頭しよう。彼らの手先は、あまりにも器用だ」。

 

 

■アメリカ人が持っていたひどい偏見

 

●一方、アメリカでは江戸時代が邪悪な時代だっという偏見も根強かった。サミュエル・モリソン提督。

 

●イエズス会の記録:「当時の日本は平等社会だった」

 

●フランシスコ・ザビエルの報告:「ここ日本では、女性や子供までもが読み書きができる」

 

 

■日本という獲物を虎視眈々と狙う列強

 

●ペリーのしたことは、日本の法律では犯罪行為だが、当時、全世界で西洋の植民地支配が行われていた。

 

●シンガポール、香港、上海、等、アジアは植民地支配の新たな獲物として燃え上がっていた。(大英帝国、フランス、ドイツ)

 

●アジアの原住民は、人として扱われなかった。ヨーロッパ各国にとって、早い者勝ちの状況で、ルールは弱肉強食だった。白人優位の世界感が確立していたから、アジア・アフリカを支配するのは、白人の特権だと信じられていた。

 

●西洋の植民主義者の間では、遅かれ早かれ、ヨーロッパの大国のどこかが、日本を奪うだろうと、緊張感が高まっていた。しかし日本は誇り高く、旺盛な独立の精神を抱いていた。

 

 

■「レイプ・オブ・江戸」

 

●ペリーとマッカーサー元帥の比較

 

●現代史家、岸田秀の論考:「日本はレイプされた。最初はペリー提督によって、後にマッカーサー元帥によって」と主張。

 

 

■わざわざペリー艦隊の艦旗を取り寄せたマッカーサー

 

●先の大戦は日本から西洋に、戦争を仕掛けたのではない。アジアは、シャム王国(タイ王国)とネパールと日本を除いて、すべてヨーロッパと、アメリカの植民地だった。中国は半植民地状態。シャムとネパールはヨーロッパの領土獲得合戦の緩衝地帯。唯一つ、独立国家として残っていたのが、日本だった。

 

●マクロにアジア史を見ると、ペリーと100年後に日本に降伏文書への署名を強いたマッカーサーの位置づけが、ハッキリとする。戦争の責任は第一義的に、アメリカにあった。

 

●降伏文書調印は、1945年9月2日、戦艦ミズーリ号の艦上、場所は1853年にペリーが目的としたアメリカ海軍基地、アメリカの横須賀海軍基地である。

 

●マッカーサーはペリーが浦賀に黒船艦隊を率いて来航した時に掲げた旗の現物をわざわざ取り寄せて掲げた。

 

 

第二章 ペリーが開けた「パンドラの箱」

 

■パリ講和条約における日本人の人種差別撤廃提案

 

●この500年の世界史は、白人の欧米キリスト教諸国が、有色人種の国を植民地支配した、壮大なドラマだった。

 

●その流れに影響されることなく、神の軌跡のように取り残されていたのが、日本という世界史に比類ない国家だった。

 

●平等社会、安全で平和な社会。この平等主義は日本人が古代から尊んでいた「和」の心から発するものだろう。「和」は日本独特なもの。

 

●日本人の平等の精神が、第一次世界大戦後に行われたパリ講和条約においても発揮された。それが日本が提案した人種差別撤廃案。アメリカ、オーストラリア、イギリスが反対、出席16カ国中11カ国が賛成し可決されたが、アメリカのウイルソン大統領が「全会一致でない」としてこの採決を無効とした日本は最終的に提案を行った事実と採血の議事録を残すことを求めて受け入れられた。

 

●南北アメリカも西洋史では「新大陸発見」となっているが、大陸はもともとそこにあった。北アメリカにはインデアンという先住民族が住んでいた。もともといた有色人種の非キリスト教民族を、まるで野獣狩りでもするかのように冷血に虐殺して、白人キリスト教国家を建設したのがアメリカである。

 

●南アメリカでも、アジアでも、白人キリスト教国家が有色民族諸国に対して侵略を働き、植民地支配による搾取と差別が行われた。

 

■300年以上、スペインの支配下にあったフィリピン

●フィリピンはスペインの植民地、1899年からアメリカの領土。

 

 

■白人不敗神話の終焉と日本

 

●東アジアに対する日本尾軍事進出は、いろいろの意味で、あじあに開放をもたらす力を、存分にふるまった。フィリピン、香港、ビルマ、インドシナ、インド。白人の不敗神話を崩壊させたことでは、日露戦争の日本の勝利だった。第二次世界大戦における日本軍の緒戦の勝利が白人不敗神話をつぶした。

 

 

■インドネシア独立に果たした日本の功績

 

●アジアの国々に、軍事教練をし、精神力を鍛え、高い地位を与え、民族終結の組織をつくり、近代組織の経営方法を教えたことは、侵略したのが日本でなかったことを証明している。

 

●日本が第二次大戦でアジアの国々を侵略したとされているが、日本がアジアの国々を侵略していた西洋諸国から、アジアの国々を独立させるために、あらゆる努力を惜しまなかったと見るのが正しい認識である。

 

 

■インドネシアの独立記念日の日付けは、なぜ05817なのか

 

●皇紀の採用だった。

 

 

■インドネシア独立戦争で戦死した1000人の日本兵

 

●当時の日本人にとって、アジア開放は大義だった。今の日本人にそのような気概はない。

 

●日本がアジア諸国から尊敬されなくなったのは、アメリカに追従して、経済利益だけを追求して、先の大戦に敗れるまで抱いていた気高い精神を、失ったからに違いない。歴史を失った国には、品格がない。

 

 

■イギリスのインド支配とチャンドラ・ボース

 

●インドはイギリスが1600年に東インド会社を設立して、インドの植民地化に着手。」

イギリスの植民地支配に対し無抵抗を貫いたのがマハトマ・ガンジー

チャンドラ・ボースは武闘派。1943年ボース首班の自由インド仮政府樹立。

 

 

■インパール作戦は、けっして犬死ではない

 

●1947年インド独立

 

●インド側ダサイ弁護団長の証言:「日本軍がインド国民軍を編成して、武器をとって新軍させてくれた。この新軍が、インド全土で国民運動となって、イギリスに独立を認めさせる契機となった。インド独立をもたらしたのは、日本軍であった」

 

●歴史を鳥瞰すれば、日本軍が大きな犠牲を払ったインパール作戦には、輝かしい意義があった。戦死した日本とINA(インド国民軍)将兵の亡霊が、デリーまで進軍した。日本は満身創痍となって降伏したが、有色人種の開放という軌跡を行った。

 

 

■公開された日本本土進攻作戦計画

 

 

■アメリカ政府は弄した奸計・・機密解除された文書から

 

●日本に和平を強いるために、天皇制を温存することを餌にして「条件付き降伏」を申し出る。

●1945年7月26日、日本に条件付き降伏を求めるポツダム宣言を発した。アメリカ、イギリス、蒋介石政権は事後参加、ソ連を誘った。

●ポツダム宣言は、日本軍に対してのみ無条件降伏を要求、日本政府に対しては条件付き。

●ところがアメリカは、日本を占領し、日本軍の武装解除を行うと、日本が無条件降伏したことにすり替えた。天皇を人質に取った。アメリカの占領は、戦争の3年より長く、6年以上にわたった。日本を物理的に打ち破り、そのうえで日本人の精神を打ち砕くための時間だった。

 

 

■「パンドラの箱」とは何か

 

●人類がこの地上に植民地が存在せず、人種平等の理想の世界を迎えることができたのは、日本が大東亜戦争に立ち上がった成果だった。ペリーは日本が立ちあがることになった発端をつくったのだ。

 

●もしペリーが黒船戦艦を引き連れて浦賀沖にまで侵入し、日本人の誇りを深く傷つけることがなかったとしたら、世界史は変わっていただろう。

 

●日本が、貪欲な西洋による帝国主義の脅威を恐れて、あのような形で富国強兵政策を取り、軍国主義を国是として、世界の強国の一つとなることはなかっただろう。

 

●日本はペリーの黒船が江戸湾に不吉な姿を現してから、88年後の1941年12月8日まで追い詰められ、1945年、国土が全て灰燼に帰した。

 

●しかし、その結果として、有色人種がはじめて大いなる希望の燭光によって照らされ、人種平等の理想が実現した。アジア・アフリカに、数多くの独立国が生まれた。

 

●日本は二十一世紀の人種平等の神話をつくることによって、日本太古の国造りの神話を、二十一世紀になって再演してみせた。新しい世界を生むことになった神話を、人類のためにつくりだした。

日本こそ、人類の希望だった。ペリーは「パンドラの箱」を、開けたのだった。

 

●ペリーが種を蒔き、そしてマッカーサーが収穫した。

 

●ペリーが日本に来航し、日本を立ち上がらせることで、アジア全土で、アジアの人々に独立を果たせる結果を招いた。欧米白人による植民地支配が終焉を遂げた。被支配民の希望が実現された。白人にとっては、まさに、ペリーはパンドラの箱を開けたのだった。

 

ジャーナリスト ヘンリー・スコット・ストークス氏
ジャーナリスト ヘンリー・スコット・ストークス氏

 

ヘンリー・スコット・ストークスは、イギリス出身のジャーナリスト。『フィナンシャル・タイムズ』初代東京支局長、『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長などを歴任した。1938年、英国サマセット、グラストンベリー生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年にフィナンシャル・タイムズ入社、64年、初代東京支局長。67年、タイムズ東京支局長、78年、ニューヨーク・タイムズ東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者として知られる。著書に「三島由紀夫 死と真実」「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」、編著「光州暴動」、共著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」「目覚めよ!日本」「連合国戦勝史観の徹底批判!」など。

 

 

 

■ 地球温暖化の不都合な真実 マーク・モラノ著

 

「地球温暖化」の不都合な真実 マーク・モラノ著

2021/1月 21/01/20読了

 

地球温暖化に関するこの本の著者は、ジャーナリストで、前連邦議会上院環境・公共事業委員会広報部長、現在Climate Depotを運営し各国の科学者等と協働で温暖化関連情報を発信している、マーク・モラノ氏。

 

読むのが結構大変でしたが非常に面白い本でした。この類の本は重たいですね。

 

自然変動か?人為的変動か?がポイントですが、環境ビジネスが絡むともっと複雑な問題になっています。

 

一方、化石資源は緑のエネルギー、炭素の恵み論もあり、何が正しいのか?賛否両論ですが、世論に流されないで、冷静に自分の頭で考えることが、非常に大事だという気がします。

 

ちなみに今日、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志氏が『CO2ゼロは亡国の危機だ』の論説を出していました。

 

「地球温暖化の不都合な真実」 マーク・モラノ著
「地球温暖化の不都合な真実」 マーク・モラノ著

 

マーク・モラノのプロフィール

1968年、米国ワシントンDC生まれ。1991年にジョージ・メイソン大学政治学科卒業後、ラジオ、テレビ、ウェブ界のジャーナリストとして活躍。2006~09年、連邦議会上院の環境・公共事業委員会で広報部長、2009年よりブログClimate Depotを運営し、各国の科学者等と協働で温暖化関連情報を発信。2016年に映画『クライメート・ハッスル(温暖化詐欺)』を制作・公開。

 

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