徳川家康公大御所の居城、駿府城二ノ丸東御門巽櫓 史蹟
2015/11/21
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今年は、徳川家康公生誕400年の年です。
そんなこともあり、修復された、駿府城二ノ丸、東御門巽櫓櫓を見にいってきました。
今回は家人と、全国の城探訪が趣味の次男と廻りました。
駿府城は過去5回焼失・崩壊しており、今は修復された二ノ丸東御門と巽櫓のみで、駿府城あとは市民の憩いの公園になっています。
家康公が将軍職を2代秀忠に譲って駿府城に入ったのは、1606年(慶長11年)で、75才で死去したのが1616年(元和2年)ですので、大御所として実権を掌握した10年間をこの駿府城で過ごしたことになります。
もっとも、松平竹千代時代に、今川義元の人質として7才から19歳までの12年間を駿府城で過ごしています。
家康公生誕400年の今年、訪れたい思っていた久能山東照宮には、結局行けませんでした。
来年是非行きたいと思っています。
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東御門は、駿府城二ノ丸の東に位置する主要な出入り口だったそうです。
形状は桝型門で、要所に石落とし、鉄砲狭間、矢狭間等をもつ堅固な守りの実践的な門で、戦国時代の面影を残しています。
そういえば明智光秀の殺し間も同じような発想ですね。
もう少し修復して欲しいという想いもありますが、徳川家康公の歴史が垣間見れる史蹟でした。
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帰り道、幕末1868年(慶応4年)東征軍参謀西郷隆盛と、徳川幕府幕臣山岡鉄太郎(鉄舟)の会見が行われた石碑を次男が紹介してくれました。
(静岡県伝馬町松崎屋源兵衛宅)この会見において将軍徳川慶喜公の処遇と江戸城の明け渡し等を決め、五日後の三月十四日に勝海舟と西郷隆盛の階段にて江戸城の無血開城が実現したそうです。
明治維新史の特筆すべき会談に位置づけられる会見です。
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